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号外 今期からの義務教育の「必修武道」関係者諸士へ 

あらすじ (英訳版)武道と武士道    
日本人の条件 ――オテントサマ 武道と武士道 日本の士道は壊滅したか? 忠犬武士道よりも光源氏 武道とスポーツとの違い 「恥」の文化

本稿の構成
まず執筆者の経歴を示す各種資料、つぎに本文を一貫する筆者独自の視点のいくつかを概論として列挙したあと、各論として日本武道の心術を列挙し、この心術の日常行動への置き換え方を示す 文体としてはなるべく専門語を避け、話し言葉による平明な表現を心がける (※)本葉は「梗概」なので文字の節約のためにやや生硬な表現になっています

英語版を先に出す理由
 英語文化圏向けの発行は方便 日本人に読ませるために、まず英語で出す 
平成の日本は敗戦時の日本文化解体で正体をなくしている 小生の武道論に、日本人は反応しない 日本の出版界の大半は「武道」を単なる競技スポーツか普遍性のない特殊な世界と思い込んでいる この事が新刊企画の盲点になっていて、武道の「武」の文字があるだけで本は売れませんよ、などという 事実そのとおりだろう 
だが欧州を知る者は、彼等の日本文化、とくに「武道」や「武士道」の研究が本物である事を知っている 欧州の武道界に、変質する前の本物の武士道と日本武道の真髄を紹介すれば、彼等は必ず反応する   
欧州が動けば日本は小生の意見を見直す これは過日の上杉鷹山事件で実証済み 野中日文って誰だ?となる 無論売名である 知られなければ仕事は始まらない マーケティングのプロなら「ん?」と思うはずだ 新分野だから
 小著『武道の礼儀作法』は、「礼に始まって礼に終わる」といわれている武道界に礼書が一冊も刊行されていないというウソのような現実を知ったことが発端だが、しかし日本の武道界も出版界も小著を未だに無視し続けている 無視の理由はあとで知ったが、これが日本人なのだ 
欧州の日本武道研究の真剣さについて弓道の場合をとり上げれば、オイゲンへリゲルが『弓と禅』を発表して以来、彼等は日本人はみんな弓を学び禅を修めていると思い込んでいて、日本人とみれば「弓」や「禅」についての専門的で高度な鋭い質問を浴びせてくる ところが弓の指導のために欧州へ渡った弓道連盟の役員諸氏が、これに答えられない 日本人の器量を下げるために海を渡っているようなものだが、いまや日本の柔道界では欧州に受講研修にでかけることは常識 恥とは思っていない 

この春、日本の教育界は全国の中学校に「武道」を必修科目として採用する
有意義な企画のように聞こえる だが、関係者たちは「武道」にどんな教育効果を期待しているのか?
どうもそれがはっきりしない 「伝統文化」とか、「武士道」とかいう言葉はさかんに出てくるが、ではそれが現在の日本の武道界にどんな形で存在するのか? 問いかけても返事は返ってこない 日本的といえばいかにも日本的だが、筆者は武道人の一人としてこの状況を見過ごせない
合気道の場合も状況は変わらない 欧州人の中でも日本文化に通じている階層は合気道を「動く禅」と評価しているが、欧州へ出かける合気道人の中に、本格的に禅を学んだ者が何人いるだろうか? 坐禅の体験者さえほとんどいない まして今回の「武道必修」に、日本人の行動文化の根底を支えている「神道」、それも賀茂真淵、本居宣長の「復古神道」についての素養のある者が一人でもいるのだろうか? 
武術といえば兵法、兵法ときけば『孫子』だが、日本の武道界は『孫子』や「礼儀作法」ときくと首をすくめる かつて小著『武道の礼儀作法』の執筆企画を知って首をすくめた者の一人が日本武道館のトップである ほかにも店頭に出た同書をみて「お堅い本をお書きになりましたなあ」とあきれ顔の武道界の重鎮がいる こんな連中を相手にしていてもはじまらんではないか

国敗れて山河あり 春はさくら 秋の紅葉 白雪を戴く秀麗な富士――日本の山河はまだ十分に美しい 老いを知らず衰えを見せない永遠の美女―― 惜しむらくはこの美女に配し、この美女を護るべき一騎当千のサムライが――いないとはいわぬが少なすぎる 一人の本物のレディには八人の屈強なナイトのエスコートがつくべきだ 
このナイトたちを必修武道で育てたい サーベルにも拳銃にも頼らない現代のナイトたちを 問題はその手法だが、この春からの「必修武道」にそんなものは用意されていない

義務教育課程での「武道」では、「無事故」は必須の条件になる
無事故とは文字通りの「事故ゼロ」でなければならない 指導者は教師としてではなく、「必修武道」にわが子を託する親の立場で子供たちの前に立て
もし子供たちに傷を負わせたら「自裁自決」の覚悟で子供たちの手をとれ 
これが日本のサムライの振る舞いだ 確信を持って少年たちの実人生に有益な、「武道」による学習成果を挙げよ 関係者諸士にその覚悟と用意はあるか
生涯を武道とともに過ごしてきた筆者は、そのための助言として本稿に松浦静山の「礼剣同源」論を援用した 筆者独自の視点からの「武道行動学」の提示である ご活用願いたい 告訴騒ぎをひきおこして、法廷に「被告」として立たされぬためにも
「武道」こそは日本の行動文化の最後の砦 中等教育への武道復活大いに結構 だがそれを今後の日本を担う少年たちに、いったい誰がどう伝えるのか?
筆者もう残された時間がない 本稿の英訳出版で死に花を咲かせたい 

      平成壬辰春 日向国 左近太郎野中日文

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

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