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行動文化 (58)  存在証明(2) 

 (57)につづく この柄本に「風のセールスマン」(別役作)という独り芝居がある 電柱の下にバス停 ベンチに、くたびれた背広にくたびれたトランクのセールスマンの柄本 この柄本の口から出るのは、聞かされたってどうしょうもない類の生活苦、つまり愚痴 これがぐだぐだと続く

この柄本の日常は「他人に存在を認められる事」によって支えられている つまり彼の価値基準とは他人の承認と評価 これ以外には何もないのだが――観客たちにとっては、たぶんこれは他人事ではない 生きているという事の「意味」と「目的」がテーマの舞台である 


柄本の演ずる営業マンの場合、その存在証明とは他人から与えられる種類のものである その象徴が、舞台の天井から降りてくるブリキの大きな目玉や空っぽの段ボールの箱というわけだ 


この一人芝居、傘をさして現われた営業マン柄本の、「傘の下には人がいる 傘がないとあたしはどこにもいないんだ」という独白で終わる


 


人、という字は人と人とが支え合っている姿だという いや、これは文字学的に根拠のある意見ではない 俗説の一つであって出所はおそらく石田梅岩の心学じゃないかと思うが、人とは社会的な生き物だ 「関係性」は大事だろうが、しかし生きることの基本は「自立」である 一人で立っていられないと、いつも何かに寄りかかっていなければならない 寄りかかる相手がいなくなると傘にでも寄りかかろうとする 柄本はそれを演じている 


 人にとって環境とは自然ではない 人間環境である だが、「出会い」とは「別れ」のはじめ 別れの日は必ずくる 


お互い、いつまでも若くはない トシをとるとシワの数とともに別れの数も増える 人間環境といっても、人にもいろいろいる いなくなってさっぱりする相手もいるが、いなくなられると生きている張り合いのなくなる相手もいる 


それで、過ぎ去った日々の追憶の一つひとつを支えに生きているようになるの


だが、その愚痴も聞き代を支払わなければ誰も聞いてはくれない 淋しいぞ  


前回、「ただ生きていてはわるいか?」と居直ったが、命とは「燃やす」べきものだ バス停のベンチの営業マン君 おぬし、命を燃やしたか? 


生きているという事に他人の承認など無用 そんな仕事なり相手なりにおぬし、これまでの生涯の中で出会ったか? 生き永らえることが手柄じゃないぜ  


♪命みじかし 恋せよ乙女 赤き唇あせぬまに 心の炎消えぬまに 明日という日はないものを 営業マン君よ おぬし恋をしたか? なに? まだ一度も? この愚か者! この世に営業に来たのか? 閻魔さんに叱られるぞ 

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