06 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 08

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | 本文: --

行動文化 (震災 7)  泣かずにいましょう 

 人は死んでも「風」にも「星」にもならない

町を歩いていて、葬儀屋の店先に「千の風」の看板を見かけた 葬儀に「千の風」をどうぞ、というわけだ 千の風、支持者も多いが批判意見もつよい この歌い手、発声に独特の色合いをもっている この歌手の存在を知ったのは、「ミホロ峠」というラジオから流れてくる歌がきっかけである 


不器用だが、まっすぐな声だと思った で、評判の高い「千の風」を聴いてみた 子供だましのバカバカしい歌だ ミホロ峠のイメージがふっとんだ


歌詞が問題 私のお墓の前で泣かないでください? そもそも日本人は、テメエの墓を「お墓」などとは言わない 「私はお墓の中にはいません」はその通りだろうが、だからといって「風」になんかなるものか 風にもお星さまにもなりゃあしないよ 人はいつも人でいる 死んだ後も 


この歌のフアンたちには、「風」も「星」もそれが埒もないメルヒェンにすぎないことは知っている 彼女たち、この声の響きとつきあっていたいのだ また葬儀屋も歌の良し悪しはともあれ 商売になりさえすればそれでいい 


人は死んでも風にもお星様にもならない その事を小生は知っている 信じているのではない 「知って」いるのである 


 


死後に現われた叔父


人は死んだ後もやはり人である 肉体を持っていたとき以上に「本人」である 人は肉体ではない 霊だ 「死」とは肉体という霊魂の容れ物を脱ぐだけの事である 人とは物質ではない もっと精妙な、自由自在な体をもっている


小生に、気の合う叔父がいた 刀と蘭が好きだった 短気なことも、神経の細いことも、話好きな部分も、小生によく似ていた


この叔父が死後に、明け方の記者の枕元に現われた 寝ている記者に「おい」という え? あ、おじさん! 「呼べば通ずるぞ」 そう言って、いなくなった 夜が明けるのを待ちかねて、叔母に電話した 「昨日は、叔父さんの命日でしたかねえ」 「どうしたの、急に、こんなに早く――」 「今朝、叔父さんがきました 昨日が命日じゃなかったかと思って」 叔母は急に黙り込んだ  


しばらく黙っていたが、「命日までまだ10日あるけどね、じつは、昨日が子供たちが集まるのに都合がよかったので、お寺からも来てもらって命日の法要をしたの」 死んだ後も、呼べば通じる その事を叔父は伝えにきてくれた 叔父は風にも星にもなってはいない 「千の風」のおとぎ話よりも確かな話です 


別れは誰も悲しくて、つらい が、いなくなったわけではない 霊の世界では、その人を「想っている時」は「逢っている時」です 泣かずにいましょう

スポンサーサイト

[edit]

« 行動文化 (震災 8)  「祈り」は通じている  |  行動文化 (震災6)  人間にはまだ原子力は使いこなせない »

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://nonakahihumi.blog.fc2.com/tb.php/54-78006477
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。