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行動文化 (震災6)  人間にはまだ原子力は使いこなせない 

 対処能力  今回の原発事故に対する一連の作業についての、原子力安全委員長の「対処能力を超えた」という発言がネットニュースに出ている 

人間には、まだ原子力は使いこなせない 原発事故とは原子力の問題ではなく、関係者たちの自己管理能力の問題である 今回の事故をめぐってお歴々がどんな発言をし、どんな動き方をしたかについては、電波や新聞よりも週刊各誌が克明に報じている 中でも特に週刊文春(47日号)は一読をすすめる


なるほど原発の管理は人間の「対処能力」を超える 


なぜ人間は原子力を使いこなせないのか? 理由は精神構造にある 具体的


に言えば、現代の日本人は一人でいる時は「心配」ができるが、複数になると当事者意識がどこかへ行ってしまう 事が起きると責任者までが「予測不可能」だの「対処能力」だのと他人事のような言い方をする そして自分は安全地帯を一歩も動かない 原子力とはそんな人間たちに使いこなせるようなおとなしいエネルギーではない 制御棒が必要なのは、原発ではなく人間の方だ


 
 
確率はつねに100


航空会社に「墜落の確率」を訊いてイヤな顔をされたことがある 


航空会社にとっては意味のある「確率」なんだろうが、乗客には確率なんか関係ない 無意味とまでは言わないが、いったん空に浮かんでしまえば落ちるにせよ落ちないにせよソロバンずくの話ではなくなる 「確率」自体が局外者の一般論なのである 当事者思考ではない 百年に一度? 今日がその日でないという保証はどこにもない 50%の墜落率で考えてみようか そんな飛行機に乗る奴はいない? 戦時にはごく普通のことだった 50%とは半分の可能性ということだが、実際に起こるのは半分落ちて半分は落ちずに浮かんでいるということではない 「落ちる」か「落ちない」かのどっちかなのだ つまり百年に一度だろうと十年に一度だろうと関係ない ということは、落ちる落ちないのいずれにしろ100%という事なのだ 「これがホントの機上の空論」などと洒落てなんかいられない 


そもそも、物にせよ人にせよ重量のあるでかい物が空中に浮かんでいるという事自体がけしからん姿である 落ちてあたりまえ 落ちないことの方が多いからみんなあまり怖がらないが、津波では「まさか」の想定で大勢が死んだ 


原発事故では「対処能力」のない人物が安全委員長に就任し、消防庁の救助機動隊員たちは地図も航空写真も放射線測定器も持たされずに現場へ放り込まれた ここへきてあらためて原発の存続撤廃を再検討するという 問題は原発ではない 人だ 人の思考能力だ 文科省!「当事者思考」に頭を切り替えろ!

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