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行動文化 (震災2)  人を支えているもの 

 人生とは、一杯の酒と、悪友の毒舌

人にとって環境とは自然環境ではない 庭先に遊んでいるニワトリや子猫、ともに働き春景色を楽しむ仲間たち、帰りを待っている子供たちや馬、子ヤギ、若鮎の塩焼きを肴に酒を酌み交わす悪友の毒舌である


津波にさらわれ、土芥にまみれて散乱する調度類、人形、ペットボトルなどのそばに一人、裸足でうずくまって泣いている女性の写真が紙面に出ている 


古来、天地とは非情のものではあるが、春は薄紫の山並みを背に菜の花が咲き、ヒバリがさえずり、川の土手を満開の桜が彩る だが、春を迎えて花の蓆を心待ちにしている、名もなく貧しく、仲むつまじい家族たちの日常を、一瞬に奪い去るのも天地なのだ そして人は失ったものの大きさを思う


論語に、孔子と斉の景公との会話が出ている 景公が政治の要諦を問う 孔子が答える 「主君は主君らしく、家臣は家臣らしく、親は親らしく、子は子らしくさせる事でございましょう」 斉公が、この言葉にいたく感心した 曰く 「ほんとだなあ ほんとにそうだなあ もし親が親でなく子が子でなかったら、倉庫に米俵が山と積まれていても、いったい誰と食卓を囲み、満開の桜があっても、誰をつれて花見に出かけようというのだ」


「一喜一憂」こそが人生


いまハッキリ見えてきたものがある 何事かの個人的な「悲願」を背負っている者の場合は除く 一般論として、人生の目的とは、事業の成功でもなければ借金の完済でもない 長生きすることや有名人になる事ではむろんない 仕事とは無関係とはいわないが、人生の実質とは誰とその苦楽を共にしているかという事だ 立派な社屋が残り、借金がなくなり、暮らしに余裕ができたといっても、それをわが事のように喜んでくれる者が、そばに誰かいるか? 


言い古された言葉だが、我々の苦楽はそれを分かち合う者がいれば、悲しみは半分になり、喜びは倍になるのだ 電話の一言でもいい 背中が温まれば、寒くてもカゼはひかない 人にとって掌中の珠とは、やはり「人」だ


失ったあとで、はじめて気がつくのだ 人生とは、土芥にまみれて地面に転がっている人形 それにまつわる懐かしい記憶 友に贈られたモンブランの万年筆―― 新聞の、裸足で泣いている女性の姿に自分の人生が重なる 死を前にしたとき、人の脳裏を楽しかった様々な出会いが走馬灯のようによぎる  

光陰は矢の如し じつに、じつに、一喜一憂こそが人生 同じ紙面に、自衛隊の青年に背負われているお婆ちゃんの笑顔 息子のような自衛隊の兄ちゃんの背中で大満足 たぶんこのお婆ちゃんの生涯の困苦や悲しみは、この兄ちゃんの背中で帳消し――そんな笑顔だこれは よかったな、婆ちゃん 
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