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行動文化(41)  武士道 

 「武士道」などというものは存在しなかった

「武士道」といえば新渡戸稲造が定番だが、新渡戸武士道は山崎闇斎の「臣道」と同質の忠犬武士道である 


武士は犬ではない どちらかといえば、犬ではなく狼、けっして飼いならされることのない狼に近い 「滅私奉公」は戦国武士道とは関係ない 男の一分が立たぬと思ったら主君にでも刃向かったのが戦国武者 もし「武士道」などというマニュアル、道、つまり規範やキマリを立てる者がいたら、そんなものには背を向けてわが道を往くのが、「男道」とも呼ばれた武士道である 


♪世の中の人は何とも言わば言え わが往く道は我のみぞ知る 坂本龍馬のポリシーがこれだ 龍馬は男 犬ではない 「滅私奉公」などするものか 


小生のみるところ、山崎闇斎の崎門朱子学も、臣道も、日本の近代化には障碍にしかなっていない 本邦の近代化を推進したのが武士道だという新渡戸武士道の主張は戴けない 


日本の近代化を進めたのは、武士ではなく経済官僚の小栗上野介と田沼意次 


それに関東関西の豪商たち 思想としては石田梅岩の「心学」だろう 近代化とっては武士道は障碍にしかなっていない 


 


武士道と「もののあはれ」 そもそも新渡戸武士道は武士道をキリスト教に対置している ピンボケである 引き合いに使うならキリスト教ではなく、源氏物語の光源氏だろう この美悪雑乱の一代のプレイボーイを道徳教育や俸給などでは飼いならせない一匹の狼になぞらえれば武士道との接点がみえてくる  


むろんこれをキリスト者たちに示したら彼等仰天するだろうが、理解は必要ない 仰天させておけばよい 日本人とは得体の知れぬ奴らだとケムにまいておく その方が彼等の土俵で相撲をとるよりずっといい

空疎なタテマエ論や強がりを親の仇のように嫌悪する本居宣長の「もののあはれ」の基準でいえば、光源氏というプレイボーイの「ふたごころ」というもおろかな無節操など、何の問題にもならぬどころか「正直」という美質 右にふらつき、左によろめき、作らず飾らずの「ありのまま」を生きている「あはれ」をさそう姿として、宣長の評価は高いのである 道学者たちのいう是非善悪の基準などこのさい関係ない 護国の鬼には護国の鬼の歌を、恋に狂っている者には恋、泣き虫の石川啄木は蟹を相手に泣きぬれさせておく さかしらな人物評釈など無用 賢愚正邪などどうでもいい――これが復古神道の掲げる「古道」 何とくったくのない、広やかな道ではないか 「教義」がないから壁がない 歌はむろん武士道も、やまと魂も、ここに生まれ、ここへ帰る
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