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行動文化(40) 機嫌よく仲良く生きてゆくのにリクツはいらない・賀茂真淵が説く「古道」 

 機嫌よく仲良く生きてゆくのにリクツはいらない

日本神道、とくに賀茂真淵、本居宣長の復古神道は、儒学を目の仇にする 


リクツが多い、というのである 宣長によれば、朱子学もふくめて儒教とはつぎのようなものだ


「わが国は神ながら言挙げせぬ国 古人の日常とは何のかのとリクツがましいことはいわず、ただ嬉しいことをうれしいとし、悲しいことを悲しいとし、困ったことを困ったとする人情の自然に生きているだけの事なのであって、古来それで丸く治まっていた 神の道はあっても、ことさらな「教義」など何もなかった 必要がなかったのである だが異国(シナ)は神に護られていないから風俗も悪く、人心もすさんでいる そのために騒乱が絶えず、「聖人」などというウヌボレのきつい策略家がしゃしゃり出てきて、色々なリクツを思いついて無理にでも人を縛ろうとするが、それでうまく行ったかというとそんなことはなく、いつも失敗ばかりしていて大仕掛けな「革命」などという大騒動がおきる 彼らがでっちあげた「道」なるものは、失敬な事をさまざまに言い立てて人をそしる (うふ ふ 耳が痛い) 儒者(ずさ)どものさえずり草になっているにすぎない 彼らのいう「道」とはただ他国を奪い取り、あるいは奪われまいがための備えでしかない 彼らがいかに立派に見えようと、それは見かけだけで、言っている事はみんなウソ ほんとはみんな大変にたいへんに悪い連中(直毘霊)――なのだそうである  


 賀茂真淵が説く「古道」 ――こと少なく、こころ直きときは、むつかしき教えは用なきことなり 教えねども直ければことゆくなり それが中に、人の心はさまざまなれば、わろき事あるを、わろきわざも、直き心よりすればかくれず かくれねば大なる事にいたらず ただその一日の乱にてやむのみ――


これが真淵の主張する「古道」である なんともさっぱりした思想ではないか こころ直きときはむつかしき教えは用なきこと――この一句は小生のようなヘソ曲がりにも心底こたえる 当然だろう 小生まぎれもない日本人なのだ 


真淵の言葉には、ふるさとへ帰って祖母といろり火をかこんでいるような安らぎを覚える 小生、人もいやがるヘソ曲がりの理屈屋だが、これまでため込んできた屁理屈を、このいろり火で浄化して、曲がっているヘソを歌の道で真ん中へもどす必要を覚える 仲良く暮らすのに学識や主義主張が邪魔になるなら、そんなものは捨てよ 立場をこえてみんなで仲良くやっていく事を遮る者がいたら、理論やリクツでなく決然たる怒りと腕力で阻止しろと、この二人の大先輩は教えている 孟子の王道論と重なる、世界を総合する一視同仁の日本神道のグローバリズム 

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