06 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 08

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | 本文: --

行動文化(39) 人を投げることが上手? ?・「力」とは「知力」 

 人を投げることが上手? ?

 こどものころ柔道の手ほどきをしてもらった大先輩に、先日逝去された京都武専柔道出身の黒木正和師がある 払い腰の名手だったが、晩年、懐旧談として自分の柔道とは結局なんだったのか……よく考えてみると、今でもよくわからんと言っておられた こんな述懐である


 「自分の技は当時そこそこには切れたから、秋田の何某、福岡の何某と名のある柔道屋を相手にしても勝負にはなった 敗れることもあったが強敵を裏返しにして畳に叩きつけることもあった そんな日常が楽しくないということはなかった だがなあ――ときどき思うんだよ おれはこうして人を投げることができる 名も全国の柔道界には知られた しかしよく考えてみると、こんなふうに人をつかまえて投げることが上手という事にいったい、どんな値打ちがあるのだ?? と、ときどき考え込んでしまうことがあったよ」


この話を高校時代の、禅の手ほどきをしてもらった恩師に語ったところ、師は腹をかかえて爆笑した 師の価値観のどこかをくすぐったらしい


 


「力」とは「知力」


小生の場合、中学に上がってもいくじなし 小学生たちにいじめられて泣きながら帰るという日常 女の子たちからさえバカにされた 


まず、強くなりたかった 男は強くないとだめだ で、柔道 


高校ではそれなりに力はついた だが上京してみると所詮は田舎柔道 強い奴はいくらでもいる 


その頃から「力」とは何かと考えるようになった そして結論が出た 


「力」とは人の場合、「知力」である その中で人を投げたり、突いたり、斬ったりできる能力にはいま、言っちゃあ悪いが小指の先ほどの価値もない 


武術が好きでたまらんのならそんな生涯もあってよかろう だが、ただ人を投げる事だけしかできない者は結局、観客の娯楽に奉仕させられ、勝負の内容にまで土足で踏み込まれ、ケータイ履歴を公開しろの、やれ銀行口座を公開しろのと、身銭を切っているわけでもないテレビ桟敷の観衆に要求される 

ケータイを女房に踏みつけさせるという手は一匹の男として情けない 何かほかにやる事がありはしないか? 力士にもプライバシーはある 意地もむろんあろう 土俵を割る前に言葉の張り手を一発という力士が一人や二人、いてもいい 土俵とは力士の聖域 どう戦うかは力士個人の領分 「公益」の定義のこともあるが、「真相究明」派の観客に、力士の真剣勝負に見合っただけの観戦料金負担を裏付ける、銀行口座公開の用意はあるか?
スポンサーサイト

[edit]

« 行動文化(40) 機嫌よく仲良く生きてゆくのにリクツはいらない・賀茂真淵が説く「古道」  |  行動文化(38)  「八百長」=悪か? »

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://nonakahihumi.blog.fc2.com/tb.php/43-92aed657
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。