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行動文化(1)「差別」は良くないか・「花」の無い男 



 「差別」はよくないか 


 三〇年ほども前からの構想に、『人間等級論』の執筆がある 自由で平等であるはずの人間に等級をつけるとは何事かと叱られそうだが、しかし論語、呻吟語といった人間学の古典は、しっかりと人を等級別に分類している 論語の「君子」と「小人」の分類などその典型だ それは「差別」ではないか? むろん差別である わるいか 


 区別はいいが「差別」はいかんという意見があるが、月とスッポンの違いが区別 では、教養人とサルとの違いは? ――なんだか微妙な話になってきたが、差別も区別も我々の日常には必要 むろん人を択ぶ権利もある 与謝野鉄幹も、♪友を択ばば書を読みて、六分の侠気、四分の熱 妻をめとらば才たけて、みめ麗しく情けある――と歌った 差別はいかん? そりゃあ無理ぜよ それでは生きている張り合いがない 女房にするならアタマがよくて、ベッピンで、亭主を大事にしてくれる、楽しい女がいい ちがうか? 逆もまた真なり 亭主にするなら甲斐性があって、イケ面で、好き勝手をさせてくれる男がいいにきまっている そんなわけで以下、遠慮なく差別論を展開する




 「花」のない男


 男をごく大まかに、面白い人間と退屈な人間の二種類に分けることができる まず言えることは、品行方正で堅実な男は退屈 いちばんツマラナいのが紳士面をした奴 いつもソロバンを片手に仕事の話しかしない奴がその次 花のない男とはこんなのをいう 退屈しないのが、力はあるが自分をワルだと思っている男 風通しのいい面白い男だ 気取りも構えもしないのは、実力の証明であると同時に並々ならぬ美意識の持ち主である事を意味する 花とはむろん世阿弥の花伝書の花だが、この「花」も一様ではない 「色男カネと力はなかりけり」が言っている色男は、花伝書のいう「時分の花」、男女にかかわらず三日ともたない 「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」林芙美子も女 容色の衰えはやはり悲しかったろうが、『放浪記』はいつまでも衰えない 物書きとしての林芙美子のイメージは、いつまでも女ざかりだ 男とは労働力、男とは消耗品、カネも力もない男など男ではない えらぶ段になれば女たちは甲斐性なしのイケ面よりも「力のある男」を択ぶであろう事は自然の摂理だが、しかし男も女も長生きが手柄ではない 「花」あってこその命なのだ 記者の独断と偏見によれば、男とは自分にとって大事な女に「男」と認められ、その女を護りぬく事を生きがいとする生き物 鉄幹の歌にもどれば、「書を読みて、六分の侠気と四分の熱」 仕事は別として花のない男とは酒を飲む気にはなれぬ▲▲  



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