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行動文化(34)小著『「バカの壁」に異議あり』が 流通を妨害されている理由 その2 

 小著『「バカの壁」に異議あり』が

流通を妨害されている理由 その2


 


人を動かすのは生理的な欲求だけか?


人間は変わるのが当たり前、なのだという だから、と次につなげてゆくこの論法 独走というよりも暴走である 


なるほど、その時の気分でものを言う人間はコロコロとよく変わる これは事実 しかし世の中には口の軽いオッチョコチョイもいるが、言葉を重く使う君子も、意地で生きているサムライもいる事を忘れてもらいたくない 


変わるのが当たり前? 生理学者とは水平思考の科学者、つまり技術者である 学際を弁えて士道や実践論の世界に土足で踏み込まぬ慎みが学者の「礼」のはずだが、この生理学者は、人間から尊厳性を剥奪して、日本人を無責任で恥知らずな生き物のレベルにひきずり降ろさないと気が済まないらしい その時々の「とりあえず」の措置で生きてきた著者は「士道」というものに対する視点は持ち合わせないのだろうが、『バカの壁』の伝統文化への応対には「軽視」や「冷笑」しかない 人とはただ新陳代謝を繰り返しているだけの動物ではない 男女を問わず、「意気」も「意地」も「プライド」ももっている 


人を動かしているのは生理的欲求だけではない 命よりも大切なものがあることを、少なくとも「士」と呼ぶに値する者たちは知っていた 名誉のためには武士は命をかけた 場合によっては主君にまで刃向かって意地をみせた   


 


陽明学とは何かといえば、「知行合一」。すなわち知ることと行なうこととが一致すべきだ、という考え方です しかしこれは、「知ったことが出力されないと意味がない」という意味だと思います。(P、94)


陽明学の「知行合一」とは、知ることと行なうことが一致すべきだという考え方ではない 一致すべきだ、ではなく知と行との分離は不可能、という主張である 知と行とを一致させよ、は「先知後行」を掲げる朱子学の立場である  


「事上磨練」を重視する陽明学は、思考の観念化をきらう 知行合一説は「現在の哲学」とも呼ばれる陽明学の緊張した時間認識による学説であって、朱子学のように知と行とを先後軽重の関係でとらえない 陽明学の「知行合一」は、朱子学の「先知後行」へのアンチテーゼなのだ 知行合一とは陽明学の「傳習録」の句である 著者は出典にもあたっていない 良い度胸だ 「知ったことが出力されないと意味がない」というが、知と行とを分離させたのでは陽明学ではなく朱子学の立場になってしまう 論語の「朝聞道夕死可矣」でも似たようなピンボケを披露しているが、自信満々の態度のわりには拙劣な論理構成 この自信の根拠が不明だが、度胸は時として無知の実証   

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