06 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 08

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | 本文: --

行動文化(33) 小著『「バカの壁」に異議あり』が流通を妨害されている理由(1) 

 小著『「バカの壁」に異議あり』が流通を妨害されている理由(1)

 「バカの壁」の人間流転論は無節操のすすめ


 『バカの壁』の著者はよく「真理」という文字を使うが、著者の流転説では真理さえも「とりあえずの答え」の中に入る ヘラクレイトスの「万物流転」も例外ではない 第五章の「自己の情報化」の項に、「流転しないものを情報と呼び、昔の人はそれを錯覚して真理と呼んだ 真理は動かない、不変だ、と思っていた 実はそうではなく、不変なのは情報 人間は流転するということを意識しなければいけない」とある(P・54) 脳学者の意見だから難解なのではない この難解さは、科学者の文章とも思えぬ悪文のせいである これでは古人は情報をすべて真理と思っていたことになり、ヘラクレイトスの「万物流転」を真理の言葉と思ったのは古人の錯覚だということになってしまう


古人が「真理」と位置付けている言葉は、不易の道理を指し示す言葉として歴史の批判に耐え抜いた言葉である 著者はここではヘラクレイトスの言葉と新聞記事とを同列に取り扱い、一括して「情報」と呼び、「人は変わるが情報とは新聞情報と同じもの」ときめつけている 歴史の批判に耐えてきた哲人の真理の言葉と新聞記事のニュース価値とは価値の次元がちがうだろうよ 新聞には第一級の論客もいることを知っているが、「各紙絶賛」が腑に落ちぬ 


 


人間は変わるが、言葉は変わらない (P・63) 


ちょ、ちょっと待ってもらいたい 人間が変わるかどうかは信義と節操の問題であって、生理的な新陳代謝をいうのではない 


情報不変論は著者の個人的な情報論にすぎない 我々は情報とは時々刻々変わるものだと思っている だからこそ「新聞」なのだ 新聞に印刷された文字が変わらないことを問題にするのは著者ぐらいのものだ 人間は変わる、というのが著者の人間流転論だが、その時の気分や都合や事情次第で気軽に変わってしまうのは「無節操」ということである 著者の生理学ではそんな人間を基準に研究するのだろうけれども、東アジアの士大夫の学問である朱子学は下郎は相手にしない 生理学と実践論の差だ 「信」を失ったら我々の社会生活は破綻する 人間関係もズタズタになる 生きていられるものではない 著者の言うように「変わる」ことを前提にした発言は人間から信頼感を剥奪し、人と人との間に不信の障壁を造るものだ 世間には言葉の軽い者もいるが、言葉を重く遣う者もいる 出発点に人間不信を掲げたのでは行動論のすべてが倒錯したものになる この著者に「信義」を語る資格があるとは思わない 小生は、著述とはすべて著者の生血で書く血書だと思っているが『バカの壁』は著者本人のペンでさえなく、編集部の作文であることを読者諸賢ご存じか?

スポンサーサイト

[edit]

« 行動文化(34)小著『「バカの壁」に異議あり』が 流通を妨害されている理由 その2  |  行動文化(32) 小著『「バカの壁」に異議あり』に対する流通妨害 1 »

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://nonakahihumi.blog.fc2.com/tb.php/37-ee1f1eac
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。