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行動文化 (24)  「武徳」 

 期待しない 応援を求めない

期待 なんと人間的な言葉であることだろう


期待し、イライラ、ハラハラしながら、ときに厳しく叱って若者たちの成長を見守る――なんと心温まる情景だろう


武道の試合場にも応援活動はある だが武道とはスポーツ競技ではない まして武道人とはアスリート(競技者)ではない いったい何が似合わないといって、「武」の世界ほど「期待」、「応援」という二文字の似合わない世界はない


戦いとは、「いたわり」や「思いやり」や「やさしさ」の対極にある闘争の世界である 勝海舟など敵はいてよいどころか、周囲はみな敵という状況こそが好ましいと言い放っている その方が肚もすわるし腰もきまるというわけだ


谷沢栄一氏は『人間通』で世界は敵意や策謀を軸に動いていると主張したが、人も国も「利」で動くとするのは兵法の人間観であり世界観である だからこそ人は、ソロバン抜きの情誼に出会うと、動揺する そしてこの人のためなら命もいらぬ、となる 命――時に泰山よりも重く、時に鴻毛よりも軽きもの


 


人は妖怪の一種


水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪たち――人の本質を描けばあんなふうになる その辺にいくらでもいる グルメ妖怪、名誉妖怪、ゴルフ妖怪、好色妖怪、スピード妖怪――むろん、あいつも妖怪、こいつも妖怪と、谷間の竹やぶの中の小屋で紙くずに埋もれて意地の悪い眼を光らせて世間を眺めている記者自身も「文句妖怪」という一匹の妖怪 


だがそれはそれとして、いったい何のための人間妖怪論なのか?


最近ふと視点が変わったというだけで別に目的があっての言挙げではないが、しかし人を妖怪変化の一種と位置づけてみると、意外にそこには色々な実益が生まれる  


その第一 世間に対して感謝の気持ちが湧いてくる つまり、他人のわずかな親切に対しても、「よく気がついたなあ」と感心や感謝の気持ちが湧く 妖怪にしては上出来ではないか この意外感が感謝につながる


第二が、「失礼」にも腹が立たない 当然だろう 相手は妖怪なのだ 


第三、偽善から解放され、ウソをつかないでいられる 平素あまり紳士的に振る舞っているとたまの失敗にも非難の矢が集中するが、「妖怪」でいればごく稀に人の役に立っても周囲は感心し、感謝してくれる 性悪説の荀子は人の本質は悪だというが、それは善悪以前のある種の「いかがわしさ」である いかがわしくなかったら人ではない いかがわしくない奴は、あやしい ▲▲

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