06 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 08

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | 本文: --

行動文化 (21) 「嫌われた」のならしようがない ・女を殴る男は鑑賞にたえない 

 嫌われた」のならしようがない

イヤな相手でも、仕事となれば「お前は嫌いだからあっちへ行け」とは言っていられない それでは仕事にならない だがプライベートな付き合いとなると、イヤな相手とまで付き合わなければならん理由はない


イエス・キリスト氏は「汝の敵を愛せよ」と言ったとあるが、それは無理だそんな事をしたら胃を悪くする へたをするとガンになる よちよち歩きの幼児を殺した奴を愛する事のできる人がいたら、それは人格的な畸形


人が人を択ぶ最終的な基準とは結局、「好き」か、それとも「嫌い」かではないか 芸術作品の場合も同じことではないか 音楽にせよ、絵にせよ、最後に残るのはその作品への親和度ではないか 記者の場合、ピカソとシャガールとを並べられたらシャガールを択ぶ 交響楽の場合、カラヤンは嫌いだがフルトベングラーは好きという、いわゆる「カラヤン嫌いのフルベン好き」というのがいる 記者の場合もこれに入るが、しかし重ったるい交響楽よりもジャズの方が好みだ 古来「フラれて怒る野暮男」という 男ならお互い、フラれたのなら、せめて頭をかいて退きさがろう フラれた上に怒ったのでは外野席でも点数のつけようがないではないか


 


女を殴る男は鑑賞にたえない


前々からから感じている事がある 女を殴る男は鑑賞に堪えない 


観賞に堪えるのは女を殴っている男ではなく、女に殴られている男の方だ 


知力や気力はともあれ、男と女とでは体力がちがう 


男とは労働力 つまり奉仕者 男とは消耗品 女とは消費者 


女とは男に護られて、産み、育てる性である 男とは、女の消費のために奮闘することを生きがいにする生き物である 


男とは作る人 女とは食べる人である 男の顔は履歴書 女の顔は請求書である そこを間違えてはいけない


もう少し


女とは花 男とは肥料と水である 女とは男たちに、その美しさを愛でられ、称えられ、百万本のバラとともに命まで捧げらるべき存在である 


男は取り換えられても仕方ないが、女を取換えることは許されない 女を殴るなどもってのほか 言葉で殴ることは無論、花で打つことさえ許されない


体力腕力において勝る男という労働者が、細い丸腰の可憐な女を殴っている姿は鑑賞に耐えない 何があったのかはともあれ、腕力において勝る男が、花である女に黙って殴られている姿は悪くない 同性諸兄、殴られましょう▲▲

スポンサーサイト

[edit]

« 行動文化 (22)  セクハラ上司は無能の証明  |  行動文化 (20) 人はみんな完成品 »

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://nonakahihumi.blog.fc2.com/tb.php/25-a48eaf97
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。