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行動文化 (19)  平成の士道  

 「信任」には「忠節」  「支配」には「クーデター」

平成とは、人を結ぶ「きづな」の切れやすい時代である 絆(きづな) とは、おそらく「気綱」であろう 組織はどこも「連帯感不在」の状態にある 協調性に欠け、「気配り」や「気遣い」が見られなくなっている なぜか? 


この傾向に拍車をかけているものの一つが電脳 職場では出勤と同時に電脳が相手、このまま定刻まで その間、雑談も笑い声もない むろん怒号もない ケンカもない 黙々と出勤、黙々と執務、黙々とひきあげる 人間関係は冷える 「おい、どうだい そのへんでちょっと一杯――」こんなやりとりも聞かない 支配しているのはノルマ 


不満が無いわけではない しかし、この「不満」を爆発させるだけのエネルギーがない だからクーデターの心配はないようなものだが、こんな状態のところへ声の大きいアジテーターが現われて、たとえば孟子の王道論や放伐論が入り込んだら、それが火種になってクーデターに向かわないものでもない


夏でも寒い背中


孟子とは「居仁由義」である


隙間風の吹きぬける平成の家庭 「仁」(取引でない無条件の愛) こそはスキマ風の入らない、人の安宅 「義」こそは納得ずくの行動 「義」で結ぶのが盟友 昨今の「連盟」の実態は、左手で握手、右手にナイフのライバルの寄り合い 心を開いて語れる仲間ではない 盟友同士でなければ「連盟」は成り立たない よくぞ言った アングロサクソンの「フレンド」は「友」を意味しない 「敵ではない」というほどの意味しかない 日本もすでにこうなった


「盟友」とは本来、血をすすりあって誓う、莫逆刎頚の友 「お互い、生まれたときは別々だが、死ぬときはいっしょ」の「血盟」の「盟」である 極右の思想と思われているが、これが右も左もない「士道」 「仁義」などというとヤクザのお兄さんたちのアイサツと思っている者がいるが、任侠のお兄さんたちでも知っているようなポリシーを紳士淑女が知らないのはいかがなものか 


「仁義」とは孟子、孟子とは朱子学 「自由」の二文字と「民主」の二文字の卸し元が朱子学 平成の日本人はこの事を忘れてしまっている この事から各種各様の気持ちのすれ違いが生まれる 「もったいない」のでは?


かつて「金打」(キンチョウ) という誓いの作法があった 武門の作法 腰刀の鍔と鍔とをカチリと打ち合わせた 違背は自決 


白けの時代 大きな代償を支払って手にした「自由」だが、こんどはその「自由」のために、人は宝物である「仁」を失い、「義」を失い、友を失い、心の中に大きな空洞を作ってしまった ここへ隙間風が入りこむ 夏でも背中が寒い

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