03 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. // 05

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | 本文: --

日本の行動文化の特性 

執筆者の思想的な立場と視点
インタネットの「野中日文」の検索で執筆者に関するデータはすべて入手できるが、筆者の思想的な立場は、まず小学生のころから愛読してきた東洋の実践論である『論語』、『孟子』などの朱子学の古典、それから成人後の『孫子』、『蔚繚子』などの戦略書、禅を経て本居宣長、賀茂真淵の復古神道への回帰である。興味本位に渉猟したのだが、結果的には先輩方が学ばれた神、儒、佛という三系統の学問のあとをたどったことになる。
武道については中学生当時からの柔道、のちの剣道(高野佐三郎門)への転向、その後の無刀流、直心影流などの古武術の渉猟を経て合気道開祖植芝盛平に出会い、その直伝の武術と心術を学ぶ幸運に恵まれ、闘争の技術がそのまま万物万類を愛護する道へつながる日本武道の構造を知った。 
本稿は上述の三教と開祖直伝の合気道神学(言霊学)を下敷きにしたものだが、とくに本稿の中心軸である「武道行動学」は、筆者の直心影流の剣と禅(臨済系隠山派)の師である鐡舟会の大森曹玄の武道観を、不肖ながら門下の末席につらなる者として引き継いだものである。 師は、

武道が時代性を失ってしまったのは、武道を武道場の中でだけの鍛錬と思っていて、日常の対人関係の中での心術(心の技)に置き換えるという視点や努力を怠っているからだ。

と言っていた。これは心形刀流の剣の使い手であった平戸藩主松浦静山の視点とまったく同一の視点である。だがこの視点をもつ者は現代の武道界にも数は少ないが、いる。 
残念ながらお名前を記録していないが鉄鋼業界に、「仕事に役立つ」からと「不動心」の鍛錬が目的で毎日欠かさず剣道で汗を流しておられた。当時6段? だったか、段位についてはとくに望みはないから昇段審査は受けず、公式の試合にも出ないとのことだった。「ほう、まだこんな人がいるのか」と嬉しかった。   
アスリート(スポーツ芸人)だけになってしまっている武道界にも、まだ捜せばこんな人はどこかにいるはずである。
スポンサーサイト

[edit]

« 休載のお知らせ  |  新刊企画 「武士道と武道~日本人の条件」 (英訳出版の試み) ~その二 »

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://nonakahihumi.blog.fc2.com/tb.php/222-44346a2f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。