09 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 11

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | 本文: --

行動文化(185) 霊能 

「超能力」として知られているものに霊能、霊感、霊媒(憑依)の三種類があり、またそれとは別に霊視、霊聴、霊語の別がある。
霊語の可能な者は世界にも数えるほどしかいない。霊能者が霊能活動に入るとその意識は全面的に神智圏に占入して小宇宙(額部)から金色の霊光が陽炎のように立ち昇る。
太古、幽現の意識交流がきわめて縁勝であった時代にはこの金色の霊光も日常に見られたであろうが、今日のような自己防衛意識を片時も離れられぬ社会では活動神との交流が自覚的に可能な者はほとんどいない。大陸での修行中には私(先師玄通子)も度々みたことがあるが、帰国してからはまだ一度もみていない。霊能者は日常的に意識の三分の二は神智圏にあって、つねに活動神との交流が行なわれている。

 第二の霊感とは電性意識(我欲、我見、我執)の自制が可能な者に発現する。余念なく仕事にうち込んでいる時などが発現の時。しかし霊能者とちがって霊感者の霊交は無自覚のものだから、三昧境から意識がもどれば普通の人。
 霊感が訪れている時は、小宇宙(前額部)から紅紫の霊光が立ち昇っている。
この霊光は、霊能者のものに比較してかなり容易にみることができる。
日支事変勃発の前年、河北省曲陽県の恒山の山麓にある道教の寺に泊まった時、観主との老荘についての談論風発の場で、話に熱中した観主からこの紅紫の霊光が盛んにたちのぼっているのをみたが、とくに珍しい事ではない。
 憑依は別として霊能と霊感の場合は活動神群との交流だから理性意識のつよい者ほど可能だが、しかし霊媒への憑依の場合はかかってくるのがみんな動物霊だから、さきの二例とは逆に普通人よりも知性の低劣な者か、または電性意識の異常に興奮しやすい者に多いわけで、常識人の場合は波長が違うから動物霊レベルとの交流は起こらない。巷間よく霊媒クラスの者が霊能者と思いこまれている例を見かけるが、覚えていたほうがよいのは、このクラスの霊媒はやたらに建物や金品をほしがるということ。
 昭和二十七年の夏のことであった。東京の某洋裁学院の院長さんがみえての談話に、友人の勧めで龍神さまがかかるという人を中心とする会に入ったが、どうも腑に落ちないことがある、品川の著名な女学校の校長さんの某女史もこの会に入っていて、最近この人の家屋敷を龍神さまへ提供するように(つづく)
※近刊案内  『武士道と武道(英文)』  『予知』――いま甦る古代支那の開運の科学  『垂直思考』思想家野中日文の筆業の総決算 『美術カレンダー(部数限定)』――剣者野中の筆のすさび  ヘッドライト大阪(06・6609・9750)
スポンサーサイト

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

[edit]

« 行動文化(186) 龍神様  |  行動文化(184) ウッディガスリー »

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://nonakahihumi.blog.fc2.com/tb.php/213-bfe59566
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。