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行動文化(182) 幽霊 1 

(前号につづく) ところが無自覚な者は我心(電性意識)の跳梁によってこの高度な理性力の滲透を遮断してしまう。
 我々がもし我心(電性意識)を野放しにせず、たとえば無心に仕事に集中している時、いつもは考え及びもしないことを思いつき、できるはずもない仕事をやってのけるのは、無自覚のうちにこの活動神ま浸透を受けこれと一体になっているからである。
 
 「死」とは、新しい生
 「死」とは人としての消滅ではない。
 宇宙体霊(人霊)が必要な地上での学習を卒業して、活動神として事故を完成させるための、宇宙界への新しい誕生である。
 地上での学習とはなにか。一言でいえば「不如意」、つまり「恐怖」や「悲嘆」の体験なのだが、では恐怖や悲嘆を味わえば我々は何を学びとれるのか。感情衝動(電性意識)の制御と、理知(理性意識)の昂揚である。理性意識が昂揚するとどんなよい事があるのか? 身が軽くなる。空間の飛翔や次元の上昇が可能になる。電性意識の卒業とは天台密教の忘己利他と同質の「利他愛」の体得と同じことだが、これを天・地・人の垂直軸で考えると解りやすい。電性意識は地獄への道。理性意識は天国への道。

 電性意識跳梁の弊害
 以上は自然死の場合だが、では事故死や急病の場合はどういうことになるのか。自然死では宇宙意識とつねに交流している人霊(宇宙体霊)は昇天に必用なものを吸収して固体から離脱するが、不自然死の場合は昇天に必用なものをみんな集める時間的な余裕がなく、残余の意識はついに主意識と分離してしまい、固体の全死をまって遅れて離脱することになる。
 新しい戦場や、がけ崩れ、列車事故が起きて死人が出た場所などに迷霊がさまようというのはこの分裂霊の滞留現象をさしている。草木を伐って活け花につかい、接ぎ木などで樹木の部分的な生命を維持する技術とは霊の分裂現象を応用したものだが、しかしこれらの場合の分裂霊もやがて宇宙界では集霊を全うして復元するのであって、自然死の場合よりも座霊に達するまでの期間が延長するだけのことである。  ※近刊案内 『武士道と武道(英文)』  『予知』――いま甦る古代支那の開運の科学  『垂直思考』――思想家野中日文の筆業の総決算  『美術カレンダー (部数限定)』――剣者野中の筆のすさび    
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テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

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