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行動文化(173) 閉塞感と鬱 

井の中の蛙にも、天の高いことはわかる。大哲カントは、生まれた村を生涯離れなかったという。ほんとかウソかは知らないが、あり得ない話ではない。
鬱とは要するに閉塞感なのだが、これはマジメ人間の病気。不埒者はやられない。不埒、とは囲いがないということであって、井の中の蛙にはたぶん閉塞感はない。こんなものだと思っている。
井伏鱒二の山椒魚は、出られなくなって悲しんだことになっているが、あれはフィクション。山椒魚は不精者なのであって、むしろ世間へは出たくない。餌さえあればそれでよろしい。つまり「鬱」にはかからない。
善人は地獄へ
丹波哲郎の「あの世論」を読んだやくざのお兄さんが、「おれは轢きそうになったシマ蛇を轢かずに逃がしてやったことがあるが、どうだろう、地獄行きは勘弁してもらえるだろうか?」と訊いてきたという。「借りた金を返さずにあんた、それでおてんとさまの下を大手を振って歩けるのかよ」これもやくざのお兄さん。親鸞聖人の悪人正機説も、往生できるのは悪人だけだと云っている。これはよくわかる。自分は善人だから間違いなく極楽往生ができると思いこんでいるようなウヌボレ野郎がすんなりと極楽へいけるはずがない。
ソクラテスは悪人だったという。毎日、身をせめて泣いていた。そこへ神が現われた。
「ソクラテスよ。なぜ泣く」
「私は悪人でございます」
「いや、そうではない。そなたは善人であるぞよ。このアテナイの町で自分が悪人であることを知っているのはそなた一人じゃ」
窮すれば変じ、変ずれば通ず
荘子は、人生とは逆さはりつけにかけられているようなものだという。
つまり「死」とは人にとっての解放。ダライラマも同じことを云っている。
人の生涯が逆さはりつけであるかどうかはむろん視点の問題。人によってちがう。だが少なくとも鬱に関しては視点次第でどうにでもなる。
孫子に、「軍争の難きは、迂をもって直となし、患をもって利となすにあり」の句がある。ピンチをチャンスに置き換えるのは他人ではなく自分。つまり人生や死を閉塞とみるかどうかも自分次第。つまり垂直思考の領分。

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テーマ: 文明・文化&思想

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