09 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 11

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | 本文: --

行動文化(172) 鬱 

死にいたる病気である。バカはカゼをひかないというが、これは結局視野の問題ではないか。
視野にもいろいろある。鬱を病むのは水平軸の視野しかもたない者。「みんなはどうしているか」だけを気にしている。
だが生き死にの問題は水平思考ではみえてこない。
そもそも「自分」というものが水平思考の対象にはなりえない。「死」とはきわめて個人的な問題なのであって、答えを出すのにもそれは結局自問自答。一般論にはなりえない。他人の意見は参考にはなるだろうがあくまでも他人の意見でしかない。これが水平思考の限界。
そこへいくと下記の対話は垂直思考への視野を小気味よくきり広げてくれる。まあごらんあれ。

豚に真珠
BBCの日本語部長だったT・レゲット氏は講道館柔道の七段とかを許されている日本通だが、天台密教の今東光に対談でみごとに切り返されている。技は――さよう、送り足払い返し(ツバメ返し)か。
T・レゲット氏がなにかのはずみで「豚に真珠」といったところ、即座に「ちょっとまった、豚の身にもなってみろ、真珠なんかもらったってしょうがねえじゃねえか」とキレのいい江戸弁。
T・レゲット氏はこれを面白がって『紳士道と武士道』だったかに紹介しているが、T・レゲット氏の水平思考に対する東光和尚の垂直思考。まあ、いってみればこれが東と西とのちがい。
水平思考と垂直思考は無論視点のとりかたで、そこには水平思考の方が視野が広く、垂直思考は掘り下げ専門で視野はむしろ水平思考のほうがひろいとする意見もある。どっちでもいいようなものだが、自然科学には水平思考、人間論や人生論には垂直思考とはいえるのではないか。
T・レゲット氏と東光和尚との場面でいえば、人の存在を天・地・人の垂直軸で考えたほうが豚と人とが同じ水平面に肩を並べている分だけ、おなじ地上の仲間物同士という視野がひらけて鬱に関しては風通しがよくなるように思えるのだが。
※近刊予告 『武士道と武道 (英文)』 『予知』――いま甦る古代支那の開運の科学 『美術カレンダー(部数限定)』――剣者野中日文の筆のすさび
『垂直思考』―思想家野中の筆業の総決算 
ヘッドライト大阪(06・6609・9750)
スポンサーサイト

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

[edit]

« 行動文化(173) 閉塞感と鬱  |  行動文化(171) 年貢 »

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://nonakahihumi.blog.fc2.com/tb.php/200-65d515d1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。