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行動文化 (169)  武道は一人一派 

身のすくむ思い
 合気道開祖に入門してまもなく、開祖が数人の会員を相手に何事かを話している事務所にいた時のことである。懐紙をとろうとしてポケットをさぐると開祖がジロリとこっちをみた。一瞬、動けなかった。
 のちに外部の者へこのときのことを話すと、相手は鼻の先で妙な笑い方をした。武道界の者ならわかる。よくわからなくても、少なくとも笑いはしない。
 たとえばニューヨークの街角で、警察官に呼び止められたのでパスポートを出そうと上着の内ポケットへ手を入れるのと同時に拳銃で射殺された日本人がいた。平和日本ではまず起こり得ない事だが、かりに先ほどの人物にこの話をしたらどう思うだろうか。やはり笑い飛ばすだろうか?
 筆者の場合、開祖に教えてもらったのは、剣の心得としては左上段からの出足と引き足の相打ちの剣理を一回だけ。徒手の心得としては左構えからの出足での正面からの入り方一本。後にも先にもこの二回だけである。これを三千人を相手に研げといった。ひとまず開祖の膝もとでの修行をきりあげて九州へもどるために岩間へうかがったときは、「武道で立つつもりであろうが、気の線は三千本を用意しておけ」という言葉をはなむけとして頂いた。伝えるべきものは伝えた、あとは自分でということ。つまりこれが古来の武者修行である。
 武道の世界に「白紙允可」というものがある。
「一人一派」とは、上記の「気の線は三千本」ということなのであって剣の場合、同じ面打ちでも使いこなし方は使い手次第ということ。これは考えてみればわかるが、性格も体質もそれぞれにちがう。意識するとしないにかかわりなく客観的には必ずそうなる。
 のこるのは「心術」。ものをいうのは危険に対する感度。具体的には行動の作法、つまり「礼儀」。
 話が混乱するから、死生観に関係のないことへは踏み込まない。たとえば合気道の正面一教(腕おさえ)の場合、初めもなければ終わりもないという動き方の心得が解っていないとどうにもならない。それも開祖の言葉でいえば「体」が主になっていてはどう動きようもない。有限の肉体をつかってどう「無限」を表現するか。となると術の工夫は結局、むつかしくいえば「無時空」の世界への眼が開けないとどうにもならぬ。開祖の「わしに七日つけば天下の達人になれる」。いまこれがよくわかる。近刊予告 ※『武士道と武道(英文)』 『予知』――いま甦る古代支那の開運の科学  『垂直思考』――思想家野中の人生の終章  発売中 『美術カレンダー(限定出版)』――剣者野中日文の筆のすさび
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