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行動文化 (163) 武士道無用
2013/09/09 Mon. 00:00 [行動文化]
戦国時代の武者たちは、人に飼い馴らされた番犬にではなく、人に飼われることを拒否する「狼」に親近感を覚えた。今でも日本には狼好きが少なくない。かつて『子連れ狼』というテレビの人気番組があったが、筆者も以前からときどき「白狼」を名のっている。子供のころからヘソマガリで、仲間に入れてもらえずいつも一人でいたが、仲間外し賛成、無視は望むところ、静かでいいや。本が読める。淋しいと思ったことは全くない。
昭和は戦争の時代だったが、朝鮮特需に支えられての高度成長のあとは全国民中流意識の昭和元禄、いまは弱肉強食の平成戦国、いま若い諸君に求められるのは、新渡戸武士道が説く雇用主への「忠誠心」や、自己犠牲の「克己心」ではない。つまり権力者のための忠犬になることではない。自分の本音に正直な、それでいて巧妙な、「知」の戦力化。
武道と武士道とは本来、別物ではない。この二つを本音に正直で闊達な「戦い方の心得」へもどそう。それには武士道を卑屈な忠犬武士道から解き放って、武士道も士道もエゴOKの単純明快な「武道」に一本化しよう。
日本人とは
(ただしこれは「こんな傾向がある」ということ。最近は以前ほどではない)
○個人が独立していないから、自分と他人との境界がみえにくい。ときに親切。ときにお節介。「気分」で動くから沈思黙考も討論もなく、結論はもう出ている。
○「人の和」が唯一絶対の金科玉条。いつも「みんながどうするか」だけを見ている。リコウ者同士の喧嘩ならオトナが出て行けばなんとかなる。だがバカ同士の「仲良しゴッコ」には手がつけられない。会社をつぶす。
○戦闘の場面では、論理的にではなく感覚的に行動する。メカニックな集団戦にではなく、剣技など個人の感性と才能に天分を発揮する。
○「やまとことば」は垂直思考の感性用語。詩歌表現に向く。論理構成には不向き。だが、今期の文明(水平思考)の行き詰まりには有益な提言が可能。次元差という垂直軸を持つ言葉だから。※近刊案内 『武士道と武道(英文)』 『予知』――いま甦る古代支那の開運の科学 『美術カレンダー(限定出版)』――剣者野中日文の筆のすさび 『垂直思考』 ヘッドライト大阪 (06・6609・9750)
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