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行動文化 (159)  自由ということ 

誤解されているが、「自由」とはフリーダムではない。漢字で書けば「自由意思のことだが、しかし「リバティ」と言い換えてもちょっとちがう。やはりそこには「○△からの解放」というニュアンスがただよう。
 これはどういう事なのか?
 思うに英語の場合は具体的な行動にピントを合わせるが、アジアの場合は「心情」ではなく「精神の位どり」に視点をおくということなのか。
 いい方を変えてみよう。
 自由とは「マイペース」の「ミーイズム」、つまり主体的な行動を意味する中国語。自分以外の、「神」をふくめた如何なる外的な権威にも支配されないことを、宋時代の支那では「自らに由る」、つまり「自由」と呼んだ。
 しかしキリストにも支配されないのが自由の意味だなどという意見が、すんなり西側世界に受け入れられるとは思えない。云った途端に反撃される。
因みにこれが「東」と「西」とを遮断する厚い壁なのであって、BBCの日本語部長だったT・レゲット氏ほどの知性派でさえも、なかなか「禅」に対してはピントを合わせ得なかった。

 由来、西側社会では狼を嫌悪する。それは我々からみると、ほとんど常軌を逸するほどの嫌い方である。「悪魔の使い」とまでいう。
 理由は、狼が人に有益な羊を襲うからである。
 日本人は狼を嫌わない。「子連れ狼」は人気番組だった。小生も狼を嫌わない。どころか、気が向くと筆名として「白狼」を使っている。
 日本人は天・地・人を同時に視野に入れる垂直思考。もっとも最近はかなり怪しくなっているが、それでもまだ石原前都知事のように「天罰」などという言葉を使う。「バチアタリ」などという懐かしい言葉さえ原発事故ではとび出した。これに対して西側は水平思考。すべてを人間の役に立つかどうかで判断する。垂直思考は「精神の位どり」を大切にするが、羊と狼との対比でいえば、羊が上で狼が下ということにはならない。垂直思考とは「上下」の思考のはず、羊と狼とを同列にみるのは水平思考ではないかと云われそうだが、東洋の「一視同仁」の視点からいえば、羊も狼も、また蛇も蛙もナメクジもオテントサマの下で生きている仲間。位どりの視点からいえばこうなる。
「自由」の話であった。自由とは主体的な行動のことだが、我々東側の人間にとっては、主権在民の民主思想とは狼と羊とを差別しない思想である。
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テーマ: 文明・文化&思想

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