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行動文化 (152)  邵康節(2) 

邵先生、ある日一脚の椅子を新調されたが、それを定位置に備え付けた日によって占い、椅子の底裏に「○年△日▽時にこの椅子は仙人に壊される」と書きつけておかれた。
 その当日、一人の道士が訪れてこの椅子へ着座したところ、椅子が壊れ、道士は赤面して詫びた。すると邵先生、
 「ものが壊れるというのもみな運命。前もって定まっていることであります。ご心配にはおよびません。あなたは真の神仙でいらっしゃいますから申し上げますが、じつはこの通りでございます」
と椅子の底をみせると道士は驚愕してものもいわずに外へ走り出たが、出てみてもその姿はなかった。
 
 先天象数の学
 邵康節の占術は、別名を「先天象数の学」と呼ぶ。
 邵康節の学問が占筮を用いない梅花心易。その原理とは「先天象数」。
「科学」とは論理の積み重ねであって客観性が条件だが、邵康節の手法とは論理ではなく――いや、論理ではあるがそこには次元の飛躍があるから客観性はない――いや、客観性もなくはないが、それは霊眼が開いた者たちの間でしか通用しない客観性である。
別刊『予知』にとりあげているのが「宇宙意識」。邵康節の占術とはこの宇宙意識を「数」の組み合わせに置き換えたものだが、「先天象数」の「先天」とは、人の深層意識に横たわる霊感のことである。筆者の師(玄通子)はこの「宇宙意識」を、じつに説得力のある言葉で解明している(近刊『予知』所載) が、やはり「霊眼」が条件。梅花心易は霊眼が開けなくても実用ができる。
余談にわたるが、邵康節の占術の感触を伝えていなくもない話に、次のようなものがある。
女性が一人、風呂敷包みを持って某の家に入った。ある易者これを追って家へ入り、女に問う。「その包みは桃の実か?」「左様でございます」「六十四個か?」「数は存じません」 調べさせると六十四個。占法を問われて曰く、彼女が家へ入ろうとする時着衣の裾がパッパッと開いて太腿がみえた。それで六十四個の桃。どうして? これがわからんようでは×。パッパ六十四。当時喧伝された話だという。新井白蛾の『易学類篇』に出ているが白蛾は「鼻を掩うの駄話と切り捨てている。※近刊案内 『予知』――いま甦る古代支那の開運の科学
   発売中『美術カレンダー(限定出版)』――剣者野中日文の筆のすさび
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テーマ: 文明・文化&思想

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