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行動文化 (140) 天罰 

人とは原理的にも構造的にも一個の小宇宙。人の身心には大銀河系の歴史が刻みつけられている事はすでにのべた。
 人とは霊である。肉体ではない。昨今の日本人はかつての日本人がみんな持っていた天・地・人という垂直方向の思考法や感性を忘れかけているのではないか?
 だが技術者たちの中にはまだ辛うじて残っている。「技神に入る」といって、日本人は達人のレベルに達した技術者への賛辞を惜しまない。武道もこの中へ入る。
 日本人の魂の遺伝子は「論理」ではなく「感覚」。だからすぐ泣く。だが感激感動型とは純真純情ということでもある。自然科学や戦争には向かないが、いまだに日本は神の国。朝陽や夕陽を拝み、ご先祖様には柏手を打ち、到来物はまず神前や仏前に供える。原発事故でも「天罰」とか「バチアタリ」などというなつかしい言葉が飛び出した。

 「人」を基準にとる欧州の水平思考に対して、日本人はまだ「天意」という垂直思考の言葉を捨て切れずにいる。かつて「太陽族」と呼ばれた今の石原都知事も今回の東北の災害では「天罰」を持ちだした。リベラル派のペンの人なんだが、たぶんほかに適当な言葉を思いつかなかったものだろう。「テッペン野郎」とも呼ばれる都知事だが、テッペンとは「天」のことなのだと小生、「太陽族」の一人として彼を弁護しておきたい。
 彼が『太陽の季節』を発表したころ、筆者は鎌倉の円覚寺(続灯庵)にいた。誰だったか――名を忘れたが、当時の作家の一人が、日本人の良俗を破壊すると騒がれていた『太陽の季節』の内容を、「あれはいいよ。はっきりした主張をもってる」と言っていた。もっともあのころの小生は武道三昧で湘南海岸のヨット遊びなどには無縁の日常だったが――いま思うに、青年諸君には破壊者であってもらいたい。
 人は年をとるにつれて考える事がずるく、汚らしくなる。政党であれ法規であれ思想であれ、壊して壊せるようなものはいっそなくしてしまったほうがよい。そうすれば本物だけがのこる。教育界が性懲りもなく復活させようとしている忠犬武士道も無用。負ける理由をなくして勝てる道理だけを追究する「武道」があれば十分。
※近刊予告 『武士道と武道(英文)』  
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テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

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