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行動文化 (139) 死(3) 

人は死ぬとどうなってゆくのか。地上に滞留している迷霊たちにも、子孫や縁者の追善供養などでやがて上昇のときがくる。そして一定の高位に復帰して宇宙霊体群の大中枢内にとどまる。
 宇宙に復帰した人霊は「座霊」と称して宇宙霊体群の中でさらに進化をつづけ、あるものは活動神として人界へ働きかけ、あるものは静坐神として非活動郭内で天界を遊行して永劫の安らぎに浸る。これが事実上の天国である。
 
ここで筆者自身の体験を語っておきたい。東京をきり上げて帰郷ののち、淡霞峡と命名した奥日向の山峡に独居して執筆と運剣の工夫に日を過ごしていた。夢に白髭を蓄えた小柄な老翁が現われた。「ホンジョ稲荷じゃ。その方の日常、見ておるぞよ。それでよろしい」。
 この「ホンジョ稲荷」を筆者、江戸の「本所稲荷」と解釈した。
いまの東京の本所に稲荷神社があるかどうかは知らない。東京の知人に尋ねてもいないが、あるときここ(宮崎の西都市)からさほど遠くもない国富町に寄り道したとき、金物屋のとなりに「本庄稲荷」の赤い鳥居が見える。? 入ってみると大杉のわきに稲荷神社がある。そして何と、「剣」にゆかりのあるお宮である。調べてみるとこの国富町にはかつて小柄な剣客がいた。逸話もいくつか残っている。それだけの事なんだが、没後に人界の有縁の者を支援するという上記の「活動神」とはおそらくこのような存在なのだろう。この種の体験はほかにもいくつかある。閑話休題。活動郭内にとどまった「活動神」たちは、我々が放我の状態で理性活動を行なっているとき我々を支援しながら自己の経験智を蓄積するわけだが、こうした固体浸透をくりかえす事によって活動神自身もあらゆる知識を吸収してゆく。と同時に宇宙の万物に作用し、地球上の全生物へも浸透してこれらを慈育する。中でも人に作用するときは、まず各界の指導者層へ浸透してその理性意識との同調を行ない、その人々の能力を調整しようとつとめる。
 これが守護の神霊なのだが、無自覚な者は電性意識(自我意識)の跳梁を自制できないから大先輩の折角の支援を遮断する。
 もし我々が感情衝動を放置することなく、たとえば仕事に集中しているときなど、いつもは思いつきもしない事や、できるはずもない仕事をやってのけることがあるのは、その大半は霊界の大先輩の支援と思ってよい。
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テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

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