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行動文化 (137) 死 

「死」とは新しい生
 死ねば終わりと思っている者がまだいるが、「死」は消滅ではない。そもそも人とは肉体ではない。人は「霊」。肉体とは霊の家。耐用年数がある。
 人霊が地上での学習を卒業して、不自由な肉体を脱いで新しい世界へ移るのが「死」。
人を神道では「神のわけみたま(分魂)」と呼び、また支那の仙道では「宇宙体霊」とも「活動神」とも呼ぶが、刑務所にも似た地上での刑期をなんとか務め上げたら、「もうもどってくるなよ」と看守たちに釈放されるのである。
地上での学習とは何か。一言でいえば「不如意」(不自由)の体験。具体的には「恐怖」や「悲嘆」の体験だが、では恐怖や悲嘆を味わうと我々は何を学びとれるのか?
感情衝動の制御と理知の昂揚である。理知が育つとどんな良い事があるのか? 自我意識が弱くなるから身が軽くなる。「利他愛」を体得すると、もっと軽くなって飛翔が可能になる。キリスト教でも同じことをいうようだが、仙道ではこの自我意識(感情衝動)を「電性意識」と呼ぶ。これを天・地・人の垂直軸で考えると面白い。理性意識は天への道。悲嘆や恐怖は地獄への道。
 
 電性意識跳梁の弊害
 以上は自然死の場合だが、では事故死などの場合はどういう事になるのか?
 自然死では宇宙意識とつねに交流している人霊(宇宙体霊)は昇天に必用なものを吸収して固体から離脱するが、不自然死の場合は昇天に必用なものをみんな集める時間的余裕がなく、残余の意識はついに主意識と分離してしまい、固体の全死を待ってやや遅れて離脱することになる。
 新しい戦場や、がけ崩れや、列車事故などが起きて死人が出た場所などに迷霊がさまようという話はこの分裂霊の滞留現象のことだが、草木を切って生け華に使い、接ぎ木などで樹木の部分的生命を維持する技巧とは霊の分裂現象を活用したものである。
 人の場合の分裂霊もやがて宇宙界では集霊を全うして浄化へ移行するのであって、自然死の場合よりも座霊 (霊界での独立霊) に達するまでの時間が遅れるだけである。永遠の迷霊などというものは存在しないが、残された者たちの、たとえば命日などに燈明を立てて華を供え、経文を唱えるという行事にはそれなりの効果はある。
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テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

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