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行動文化 (133) エゴOK 

「武士道」から首輪をはずそう
 武士道のルーツはエゴOKの戦国武士道である。
 戦国の武者たちは、人に飼い馴らされた番犬にではなく、人に飼われることを拒否する「狼」に親近感を覚えた。今でも日本には狼好きが少なくない。かつて「子連れ狼」というテレビの人気ドラマがあったが、筆者も以前から時々「白狼」を名乗っている。
筆者、子供のころからのヘソマガリで仲間に入れてもらえずいつも一人でいた。無視OK。おお仲間外し賛成。望むところだ。静かでいいや。本が読める。さびしいと思ったことなど今に至るまで一度もない。
 昭和は戦争の時代でもあったが、高度成長のあとは全国民中流意識の昭和元禄。いまは弱肉強食の平成戦国。いま若い諸君に求められるのは、新渡戸武士道が説く雇用主への「忠誠心」や「克己心」ではない。
 つまり「他人の道具」や「兵士」になることではない。自分の本音に正直な、それでいて巧妙、かつしたたかな「知」の戦力化。
 
 原発事故の現場の放射能の中で果敢に働いてくれた男たちがいる。これを「現代の武士道」と持ち上げる声がある。そのために山本常朝の葉隠武士道や山崎闇斎の臣道を持ち出す者たちもいる。
 冗談ではない。こんな場面で臆せずに働く者たちがいれば事故の責任者連中は好都合にちがいない。いずれ賞状でも与えようという事だろうが、武士道の源流である戦国武士道とは、主君の覚えをよくするための「滅私奉公」ではなかった。では何のために働いたのか? 知れたこと。天下国家ではない。自分や仲間たちのためだった。
 くりかえすが、武士道とは体制や権力者のための心得ではない。つまり新渡戸稲造のいう「自分の命とは主君に仕えるための道具」ではない。なに? それはエゴイズム? むろんのことだ。エゴイズムでわるいか。
 では訊きたい。武道とはエゴの振る舞いではないのか?
武道と武士道とは本来べつのものではない。この二つを本音に正直で闊達な「戦い方の心得」へもどそう。
 武士道を卑屈な忠犬武士道から解き放ち、「武士道」や「士道」をやめて「武道」に一本化しよう。その時期がきた。

※近刊予告 『武士道と武道(英文)』 ヘッドライト大阪(06・6609・9750)
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テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

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