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行動文化 (121) 時間ドロボー 

オトナのふるまい
「おとな」の心得に江戸前と京風がある。江戸前は簡潔。京風もムダを省くのは同じだが、しかし京風の省略は一見したところ省略を感じさせない。どこが違うのか?
 江戸はかつて職人たちの町。江戸弁(とくに下町)は簡潔。省略も職人風に省くが、京は公家社会。客席での応対に省略はない。京の料亭では事前に客種をえらぶ。一見(いちげん)さんお断りとはこれである。
 一見さんとは常連ではない客という意味だが、しかし常連もはじめは一見さんのはず。そこの所はどうなっているのか?
 聞いてみれば、なるほどと思う。常連の誰かに連れて行ってもらえば客として遇してくれる。京の――京に限ったことではないが料亭やクラブ(倶楽部)は雰囲気が商品。それで倶(とも)に楽(たのし)む部(部屋)と書く。
 スピード時代である。お互い、なるべくムダは省きたい。
 都市の仕事は昔も今も回転の早さが命。仕事を効率よく稼働させるためには省ける手間は極限まで省く。

 よのなかに人のこぬこそさびしけれ とはいうものの お前ではなし
    よのなかに人のくるこそうるさけれ とはいうものの お前ではなし
                          内田百鬼園
 百鬼園先生宅の門には、この二首が門人向けに掲げられていたという。
 地方の時間は今もまだゆっくりと流れる。山深うして太古に似たり。日永うして小児のごとし。つきあい方も寸暇を惜しむ接触ではない。この感覚が共同作業への「顔出し」という形になる。お義理の参加だから、冬であれば焚火を囲んで話ばかりしている。無論それが許されているわけではない。「顔さえ出せばいいと思って――」というかげ口は聞くが鈍感力の馬耳東風。
 地方人とは本来、実直で義理がたい人たちである。実直とは、たとえば謝礼作法についていえば自分の納得のための形式的な謝礼ではなく、相手本位の実質本位。相手の趣味や状況を考えない謝礼は謝礼にならない。
 日本人は太平洋戦の敗戦を境に、伝統的な行動文化を意識的に放棄して、ハッキリとルーズに、かつ身勝手になってしまった。自由平等がもたらした一億総幼児化。小生はまだ戦前の大人たちの儀礼作法を覚えている。お礼言上では、部屋には上がらずに玄関先ですませた。上がりこむと「時間ドロボー」と呼ばれた。
※ 書画カレンダー「剣者野中日文の筆のすさび」(2013年度 部数限定)  
            ヘッドライト大阪 (06・6609・9750) 
 『予知』――いま甦る古代支那の開運の科学
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テーマ: 文明・文化&思想

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