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行動文化 (108)  吉本隆明 

詩人・評論家。「反逆する若者たち」と呼ばれた全共闘世代(1960年代)のカリスマ的存在で、吉本の本を大事そうに抱えて歩くのが当時の男女学生間の流行だった。筆者はこの少し前の全学連時代のはしりだが、いわゆるノンポリで武道以外のことには興味はなかった。
吉本隆明は当時、既成左翼を批判する理論的指導者として知られていたが、宮本顕治などの戦時中の「非転向」を、現実を無視して「理論」へ逃げた転向の一つとして非転向とは認めなかった。
これはまあよい。それなりに筋は通っている。だがオウム真理教の麻原を、ヨーガを中心とした原始仏教修行の実践者として評価したのも吉本隆明である。
親鸞の「悪人正機」の主張には、わざとでも悪い事をした方が浄土へ行けるのではないかという造悪論を否定できぬ要素があり、オウム事件はこの造悪論の中に入る、親鸞あるいは仏教の教義の中にはもともと危険な要素があり、麻原は現存する仏教系の指導者の中で世界有数の人ではないかという。
中沢新一(もと東大教授 人類学) もこんな吉本を、思い込みを理論で体系づけて現実が見えなくなっている戦後知識人を正確に診断し、自分で掘ったその墓穴からの脱出法を示したお医者さんだと主張する。
だが、フェリック・ガタリ(フランスの思想家 精神分析学者)は吉本を、「日本の思想や体験をなめてかかっているだけで、実は何も判ってはいない根っからのバカだという。

論理のアクロバット
いずれの側につくかは諸兄姉のご自由だが、筆者はガタリの方が吉本をまっすぐ見ていると思う。
親鸞の、「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」の「悪人正機」とは、自分を「おれは善人だから必ず極楽へ行ける」と思いこんでいるようなウヌボレのきつい人間こそが地獄行きは免れないぞという主張であって、吉本が言うような、「わざとでも悪い事をする」ことが極楽行きの条件というような言い方とは、人一倍なめらかに動く舌や、ツルハシよりも軽いペン先でこねあげた論理のアクロバットにすぎない。
吉本隆明とは疑似インテリの虚構をあばき、もの言わぬ民衆の側につく男ではなかったのか? 
多作の男だった。「吉本が書いた本だ。面白くないはずがない」と先輩に書評を書かせる吉本とは結局、俗受けだけが目的の売文業者。なるほど「面白く」はあるだろうが、いわばそれだけのもの。筆者、吉本の叛骨のために惜しむ。
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テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

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