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行動文化(107) クロード・レビストロース 

あまり知られている人ではない。朝日紙(09・11・7) は上野千鶴子(東大教授 社会学) の、「合理的でないとされた未開社会などの現象を、目の覚めるような明晰さで分析した」という評価を紹介している。経験知によるのでなく、広い視野で人間の営みをとらえ、人間の主体性や感情に対しては批判的な視点を持つ研究者という見方。
 レビストロースの言葉で「おっ!」と思ったのは、『悲しき熱帯』の中の、「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」という言葉である。
 人間から始まる西側の世界観に正面から激突する破壊力に「お!」と思ったわけだが、人間の主体性も場合によっては周知のように自然破壊へ向かう。
 主体性に疑問符をつける事には異論はない。しかし主体性や感情を否定した後に残るのは何なのか?

 仏教の唯識論の視点からは、世界とは我々のイマジネーションである。賀茂真淵、本居宣長の復古神道の立場からも「人」とは神の直系の子孫。決して人間を、つまり主体性を否定してはいないが、しかし西側の人間論とはちがって、日本人の場合はそこに天・地・人の重層構造がある。筆者はこれを「垂直思考」と名付けた。
レビストロースの、「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」という言葉は、西側の水平思考でも東側の垂直思考でもなく、「人」をまるごと否定してしまう。破壊力はすさまじいが、その破壊力は「つつしみ」や「謙虚」に似て結局、「人」だけではなく「思惟(イマジネーション)」まで破壊してしまわないか? 構造的にも原理的にも「人」とは小宇宙。つまり自然。そこに「自分」というものがあるとすれば「感性」とイマジネーションしかない。
考えてみれば、レビストロースとは「世界は人間とは無関係におわるだろう」と言ってのける人である。もともと彼は現代の思想的な行き詰まりを打開する意見などもってはいない。多摩美大芸術人類学研究所長(もと東大教授)の中沢新一氏は、クロード・レビストロースをゲーテの系譜の賢者と評価するが、「未開人」に光を当てながら「直感」や「感情」を否定する姿勢は理解に苦しむ。

思うに、レビストロースがフィールドワークで接触した「未開人」の感性とは、我々日本人の「オテントサマ」、すなわち「天意」への全託と同質のものではないのか? それがレビストロースには見えなかったのではないか?
免疫機能も、直心影流剣術の「直心」も、個人の身心に組み込まれた「天意」である。異論もあることだろうが、他人はともあれ筆者はそう思う。
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テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

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