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行動文化 (9)垂直思考・「自己満足」こそが、最終的な満足 


 垂直思考


 井ノ中ノ蛙、大海ヲ知ラズ サレド天ノ高キヲ知ル 


 つまりこれが垂直思考 


 アインシュタイン、時ノ歪ムヲ知ル サレド己レヲ知ラズ


 つまりこれが水平思考


 科学教の信者たちは怒るかもしれないが、科学の手法とは、認識の対象の分析と推論である 認識の主体すなわち自分自身については追究の手法をもたない もっともそれは古典物理の場合であって先端科学の量子論の場合は別だが、アインシュタインは量子論を受け入れず、客体論に終始した 


量子論の「観測者効果」とは主体論である アインシュタインの視野には人としての主体性の問題は入らない 愚按ずるに、「アインシュタイン」の本来の意味とは「私の主体性」である その彼自身にはちっともシュタイセイがない    


これを称して「羊頭狗肉」という 安岡正篤をまつまでもなく「知識」は「見識」となり、見識は「行動力」となり、行動は「結果」を得て終息するのだ 科学者といえどもこの行程に変わりはないが、科学者の水平思考には、天・地・人の垂直軸が立たないかぎり、死生観には解答は出ない 出ないどころか、科学という現代の神は、進歩すればするほど、人に「不安」を与えたまう 


 


「自己満足」こそが、最終的な満足


 「ウーマンリブ」華やかなりしころ、禅寺の老僧のところへ、そのリブの女闘士がやってきた 老僧を相手に、滔々と持論を述べること二時間 一段落したところへ、それまで黙って聴いていた老僧が、初めてものを言った 


「お前さん、なかなか牛のケツじゃのう」


 プロポーションをからかわれたの思った女闘士、柳眉を逆立てた


「牛のケツとは何事! 許しませんよ!」 老僧、あわてず、騒がず


「牛はモウじゃろう ケツは尻じゃろうが モウの尻でモノシリじゃ」


女闘士の「博学」をホメたのである この場合、「博学」とは、「お前さん、よくまあクダラナイ事をたくさん知っているなあ」ということ 


これだから禅坊主は油断がならない 禅では「抑下の卓上」というが、禅者がホメた時はケナしつけている時 ケナしつけている時は全面的な評価と支持

どうしてそんな事をするのか? ヘソ曲がり(つまこれは支持) だからである 全面支持の場合は安心してケナしつける 「自己満足」とは批判用語だが、エンターティナーならいざ知らず、肯心みずから許す自己満足を得ている者なら、金持ちケンカせず 他人に否定されてぐらつくような事はない ▲▲
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