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行動文化(101) 師 

中学生のころ、「尊敬する人物を一人挙げよ」という課題があった。何人か考えたが、「剣と禅の達人山岡鉄舟」が頭に浮かんだ。のちに東洋大学の中哲を中退して大森曹玄の鉄舟会へ入会するわけだが、それとは別に、中学生のころ中里介山の長編小説『大菩薩峠』を読んでいた。
 この『大菩薩峠』に、島田虎之助が槍の高橋泥舟とまちがわれて、土方歳三ひきいる新撰組の浪士の襲撃を受ける場面がある。
 島田虎之助は駕籠の後方に背をもたせて駕籠わきからの突きにそなえ、突かれると同時に躍り出て刺客を斬り捨てる。そこへ自分とまちがわれて島田虎之助が襲われたと知って泥舟が駈けつける。すぐ斬り込もうとするのを同行の人物が、「ひとに斬られる島田ではない。さしい出ては邪魔になる。これにて見物さっしやい。」なるほどと泥舟は見物。
 目の前の島田は何人かを斃したあと、正面から打ちこんでくるのを鍔元で受けて鍔ぜりあいの形。そこへ後方の一人が拝み打ち。このとき泥舟がはじめてヒヤリとしたが、その瞬間、正面の鍔ぜりあいの相手の剣は鍔元から折れて飛び、後方から拝みうちに来た敵は、身を退きざまに横へ払った島田の太刀に上体と下半身の二つに切り離されていた。のちのちまで泥舟が虎之助の太刀さばきを、「あれば禅だ。剣ではない。」と歎称したという話。

 禅について少し。
筆者の禅は臨済派の隠山系である。「公案」と呼ぶ課題を与えられて私見を師に点検してもらう。「犬ッコロに仏心があるか?」という問いに趙州和尚が「無」と答えた、「無」とは何か? が設問。筆者はなんとか透過したが、このあとに難問中の難問、雲門の一字関が控えている。
 透過してみればただ修行者をひっかけるだけが目的の屁のような設問で、要するに「無」の再確認にすぎないのだが、坐禅について思う事は、坐禅とはガマン会ではない。ピントのずれた坐禅よりもひるねでもしていたほうがまし。筆者もあまり坐禅はしていない。
 奥日向に移って一冊目の本を師へ献上した。師はこれを手にとってウン、ウンと何度もうなづいて、何を思ったか押入れの奥へしまいこんだと奥方から聞いた。最後に師を訪ねた時は奥方の手引きでの面会だったが、対坐している筆者が誰なのかもう判らなかった。別れる時は門の外で遠くまで見送ってくれた。合掌すると師も合掌を返した。筆者の関東時代とはこんなものである。
結局、筆者は師恩に酬いていない。師は筆者のはじめての本を、押入れの奥深くしまいこんでくれた。もう師はいない。ああ
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テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

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