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行動文化 100 文武両道 

現代人にとって武道とはなにか?
ケガも死亡事故もOKのスポーツだというのなら、まあよい。だがスポーツでは中学生たち必修科目としての大義名分は立たない。義務教育の場で学ばせるためには、タテマエとしてでも「武道」でなければならない。それも「時代性」のある武道でなければならない。
現代とは、スポーツとしてならともあれ柔道や剣道の技をそのままの形で使える時代ではない。 
人とは牙や爪で戦う生き物ではない。現代の戦力とは「火力」である。マシンガンやミサイルはまだ立派に通用する。
だが、それを使いこなすのは最終的には知力、またその種の火力とは最後の手段、できれば使わずにすませたい。孫子も「戦わずに勝つのがいちばん儲かる」といっている。
そりゃそうだろうよ、孫子にお伺いをたてるまでもないことだ、コストもリスクもゼロで相手さんのシェアがまるごと戴けるならそれにこしたうまい話はない。

まあジョークはともあれマジメな話、現代の武道がもつ実用性とは結局、「知」の戦力化だろう。
むろん火力戦も否定できないことは、最近ではカダフィを追い詰めたのも火力である。
たしかに火力には有無を言わせない力がある。だが平均的な市民は、いつもミサイルや小銃でドンパチやっているわけではない。ビジネスとは「力」の勝負だとはいっても、その戦いとは火力ではなく「知力」の勝負のはずだ。
文武両道というが、「文」と「武」は底の方でつながっている。二つをつないでいるのがコスト意識だろう。「火力」の戦いは、本音ではだれでも避けたい。激突すれば人が死ぬ。カネもかかる。
♪ 鞭声粛々、夜河を渡る 暁に見る千兵の大牙を擁するを の武田信玄と上杉謙信との川中島の戦いの場合も、実際は河を隔ててのにらみ合いだったようだ。そうだろうなと思う。

太平洋作戦での井上成美がこの種の「知将」だった。井上はアメリカとの勝負に勝ち目はないと思っていた。
国を滅ぼしたのは脳ミソまで筋肉化した「強がり」どもである。子供っぽいただの「強がり」で脳ミソまで筋肉化していた。
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テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

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