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行動文化 99  花鳥風月 

テレビはとうの昔に捨てたが、NHKのラジオ深夜便は無聊のなぐさめ、つまりヒマつぶしに時々は聴いていた。
まあピアノ、ドラム、ベースの競演(ジャズ)などには今も気は動くが、しかしNHKさんの深夜便、もうどうでもいい。
歌も、踊りもむしろ邪魔。このごろの落語はつまらん。「間(マ)もへちまもない、ただの「しゃべくり」でしかない。ディナーも、酒も、無聊のなぐさめにはならん。むしろ横になって雨や風の音に耳をあずけていたい。
つまり小生、老いたのである。ときどきは十八歳のワルガキにもどるが、それが「若年寄」なのかどうは他人が考えること。
先日、インタネットで越前海岸の水仙の群落をみた。
横になって眼を閉じれば、いまも魂は越前の浜辺で遊んでいる。海鳴りに加えてほのかに水仙の香りさえ漂う。
電脳のわきに、新聞から切り抜いた霧島山の遠望の写真がある。奥に霧島の霊峰。手前に、利休ねずみの朝霧の底に深紅のツツジの群落。
仕事に区切りをつけ、書斎を出て寝台へ横になって眼をとじると、この霧島の遠望がしずかに目の前にひろがる。越前の浜の水仙の群落がこんなふうだが、いまの筆者にとって観光旅行はこれだけで十分。歌も踊りも無用。
老いるとみんなこうなるのかどうか、おそらく人それぞれなのだろうが、しかし「雪月花」とか「花鳥風月」の句を古人が遺してくれているのは、おおむね人は老いとともに人為の世界から自然の懐へと帰って行くということだろう。

千里の砂漠を駆け抜け、万里の波涛をこえて旧知のところへ向かう白い狼のことを書いたと思うが、旧友はむろん懐かしい。逢いたい相手でもある。しかし、やがてはそれさえも朝霧の彼方へかすんでゆくのではなかろうか?
つまり「雪月花」とか「花鳥風月」の世界とは、我々が人間であることを廃業して雪月花を相手に遊ぶ、いずれそんな日が来るということの予告ではないだろうか?
――筆者はいま、いったい誰を相手にこんな文字を連ねているのだろう? むろん読んでくれている諸兄姉を相手に電脳の鍵盤を左右の指先で叩いているのだが、しかしこれも結局のところは筆者の独り言にすぎない。
まあいい。あと3行ほどのスペースが残っている。独り言ついでにもう少し。
筆者を育ててくれた、恩師と呼ぶべき人は数人いた。もうみんなこの世にはいないが、それらの恩師たちには筆者は結局、不肖の後進である。恩師方の教導に酬いる機会は、もうない。筆者にはもう「師」はいない。淋しい。
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テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

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