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行動文化 94 武士道と騎士道 

小生の意見に西側から反論があった
 戦国武者を、人に飼われることを嫌う「狼」に、西側の騎士を「飼い犬」になぞらえている部分に対して、「狼は羊を襲う悪い奴で、悪魔の使い」 また「騎士が諸侯の下で働くのは単なる「契約」、諸侯の言動がキリストの教えにそむく時は腰刀を抜く、のだという
 せっかくのご反論 期待して拝読したが、狼を一方的に「悪いやつ」ときめつけるのはいかがなものか 羊を大切にするのはわかるが、狼には狼なりの言い分(主張)があろう こんな話が残っている
 狼が牧場を荒らす 仔狼を捕えて檻に入れ、その外に毒餌をおいた 母狼がやってきて仔を救い出そうと通い詰めるが、不可能と悟った 母狼はどうしたか? 毒餌を檻の中へ入れた 仔は喜んで食べた 人に飼われることよりも死を択ばせた
 むろん西側と東側は気候風土がちがう 日本は肥沃な島国 鳥や獣たちと共生している 日本人にもいろいろいるが、こんな話に感動するのが日本人らしい日本人なのである ここには「神様」は出てこない 出てくるとしたら鳥も虫もふくむ「八百万(やおよろず)」の神々 むろん狼も一柱の神 たとえ斃したとしても手厚く葬る とくに武人の場合はそうだった 古刀の鐔に「鎌」と「墓標」を透かした図柄のものが残っている 

 日本の武士道の場合、雇用主を見限るのは「仕うるにたらず」と自分の判断で見限るのです 神様の教えに背くからではありませんよ キリストの教えに背くときは雇用主を斬るとまでいわれるが、「キリストの教えに背く」という動機は、騎士の主体性のなさの証明にはなっても日本の武士道への反論にはなりませんね 
 武士が主体性を重んずることを「自重」という 武士道の源流である戦国武士道では「滅私奉公」を恥じる 「私」あっての主君 新渡戸武士道や山崎闇斎の士道など論外 神仏にさえ仕えないのが戦国の武者たちだった
 反論氏はキリストに仕える 仕えるのはご自由 キリストを貶(おとし)めるつもりはまったくないが、日本人は神の直系の子孫 祖先は祀り、「恥」には敏感だが「罪」には不納得 祓ってしまえば済むことではないか
さてこの「恥」がが、西側の騎士諸兄にも「プライド」はあるはず お手のものの「民主主義」を支えるのはプライドではないのか? キリストに是非善悪の判断をあずけてしまうのは「プライド」にも「民主主義」にも抵触しないのか? ご意見を承りたい ▲▲
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テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

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