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行動文化95  葦津珍彦 

昭和の北畠親房と評される人物。合気道の本部道場に入会してまもなく、筆者に鎌倉の葦津先生に逢っておけとしきりに勧める先輩がいた。理由はよくわからなかったが、しきりに勧めるので、訪ねた。
初対面の挨拶の後、「君は何をしていますか?」 「武道を学んでおります」
するとご自身も東京の瀧ノ川の国井道場へかよったことがあるといわれる。
「剣術の稽古に?」 そうではなかった。「鹿島真流」をなのる国井という男の稽古ぶりを見ていると、「この男、刃物では無理。拳銃でも不安が残る。さて、どうしものか――」国井善哉退治法の研究のためにしばらくかよったが、7日間て解決したという。
解決した、といわれるとその「解決法」が聴きたい。訊いてみた。
「なあに、ガスをつかえばいいと気がついたんですよ」
茫然とした。つぎに「なるほど」と思った。

これが、一介の剣客と戦略家との差。「競技武道」などの出る幕はない。
視野がいっぺんに拡大した。
のちに鉄舟会の大森曹玄にこの事を報告すると、大森は「彼、さいきん頭角を露わしましたね」と。やはり存在を意識していた。行動をともにすることはなかったようだが、肝胆相照らす仲だったらしい。
大森は関東軍の満州事変に世界大戦への拡大を予見、時の近衛総理を説いて政策の転換を進言したが、用いられず、皇道派の青年将校たちを支援して昭和維新を企てた人物。
皇道派の青年将校たちの裏には周知のように北一輝がいるが、北との接触については何も聞いていない。車の中でその周辺へ話がおよんだこともあったが、当時の筆者には武道のほかには興味がなく、そのまま中年を迎え、いま老境にいる。筆者はもともと政治や経済の世界の動きには無関心、話の流れで満州事変へまで筆がおよんだが、際限がないからこのあたりでやめておく。
 
大森は葦津と行動を共にする事はなかったようだが、肝胆相照らす仲ではあったらしい。あらためて写真の葦津の風貌を眺めてみると、眼のあたりに大森に似通うものがある。大森の鉄舟会の存在を筆者に告げたのは東洋大の中哲に同席していた妻だが、妻もやはり眼のあたりがどことなく似ているという。
のちに葦津の著作の中に、福元日南の「のちの世に語り継がれずまつられず、さらす屍のみやびなるかな」の一首があることを知り、この一首を採り上げているのが葦津と知って、葦津の著作を通読した。大森との出会いといい、葦津との出会いといい、なにか運命的なものを感じる。
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テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

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