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行動文化85 「武士道」再見2 

新渡戸武士道は「忠犬武士道」

日本の中世を席巻した観のある山崎闇斎の「臣道」も、また今では武士道の定番の位置にある新渡戸武士道も、餌ほしさに主君に尻尾を振る「番犬武士道」である 戦国時代の武士たちは番犬ではなかった 犬のように飼い馴らすことは不可能な、「狼」だった
だから、逆説になるが当時「武士道」などという、行動の規範(マニュアル)めいたものは何もなかったと思うべきだろう 
それはそうだろう 「規範」とは、人を繋いでおくための鎖である 自律のための自己規範は持っていたとしても、他人がこしらえた「武士道」などという規範に餌ほしさに繋がれているとしたら、それは精神の位どりの低い下郎 にすぎない 一騎当千の「もののふ」ではない

生き物には、繋いでおける生き物と、そうでない生き物がいる  
犬なら繋いでおけても、鎖でつながれている狼など見た事がない 
狼とは「かわいい」生き物ではない 可愛らしかったら狼ではない ときどき「△△にいた時は○○さんに可愛がられた」などという言い方をする者がいるが、この変態野郎と思う 男が口にする言葉ではない 可愛く、おとなしいネコでさえ、繋ごうとすると噛みついたり引っ掻いたりする ネコの場合は「可愛いがらせて」やっているのである 可愛がられて喜んでいるわけではない これは気位の問題である お間違えなく 由来、小生はネコが好きだ 犬はどうでもよい 腹をすかせていれば水と餌は与える

「武士道」と、欧州の「騎士道」の差異
簡単に言えば、主体性を売り渡さない狼と、餌がほしくて飼い主に尻尾を振る犬との違いである 
民主主義の本家の、この非民主性には我々は意外感がつよい
これは筆者としては推論にすぎないが、この事実は我々日本人が本質的に「理知型」ではなく「感性型」にできているという事ではないか? 
主体性、また「気位」とは、「恥」に直結する自己規範の言葉である
天皇の「信任」には「忠節」を誓う我々だが、権力者の「支配」に対してはクーデターをためらわぬような部分が、我々の血の中にはまだ残っている  
つまり我々日本人とは、本質的に番犬レベルの新渡戸武士道や山崎闇斎の被虐臣道とは相容れない、武士道の本来の姿である戦国武士道の系譜につながっているのではないか? 日本人もまだまだ捨てたものではない ▲▲
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テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

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