04 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 06

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | 本文: --

号外 今期からの義務教育の「必修武道」関係者諸士へ 其の二 

<前号につづく>
執筆者の思想的な立場と視点
インタネットの「野中日文」の検索で執筆者に関するデータはすべて入手できるが、筆者の思想的な立場は、まず小学生のころから愛読してきた東洋の実践論である『論語』、『孟子』などの朱子学の古典 それから成人後の『孫子』、『蔚繚子』などの戦略書 禅を経て本居宣長、賀茂真淵の復古神道への回帰である 興味本位に渉猟したのだが、結果的には先輩方が学ばれた神、儒、佛という三学のあとをたどったことになる
武道については中学生当時からの柔道、のちの剣道(高野佐三郎門)への転向、その後の無刀流、直心影流などの古武術の渉猟を経て合気道開祖植芝盛平に出会い、その直伝の武術と心術を学ぶ幸運に恵まれ、闘争の技術がそのまま万物万類を愛護する道へつながる日本武道の構造を知った 筆者の「武道行動学」には上述の三教と開祖直伝の合気道神学(言霊学)が下敷きになっている


●以下は概論
日本の行動文化の特質 
進歩するほどに、民に「不安」を授けたまうのが現代の神「自然科学」である そのことはお互い、今般の原発事故で思い知らされたはずだ
原子エネルギーとは、人には制御不可能な八岐大蛇 水平思考の現代人には使いこなせない 思い上がって無辜の民に国を売らせた 天罰である    

○垂直思考――筆者独自の視点からの、自然科学の水平思考に対する垂直軸の思考法、人は天と地とをつなぐ者として、天地の間に垂直に立つ その視野に入るのは永遠無窮の人の命 これに対するのが「畏れ」や「慎み」を忘れ、自然を征服の相手と思い上がってしまった自然科学の水平思考 行き詰まりは目に見えている 物質科学の水平思考は今回、「天罰」の対象として頭上に鉄槌を受
けた 以下は垂直思考の利点弱点と対策

○ 十字思考 人は大地という水平軸に垂直に立っているから自分の現在位置が見える これが「立場理解」という行動(礼)の起点だが、立場がわかるためには垂直軸の中の水平軸(仲間意識)が不可欠 

○「やまとだましい」についての誤解――本居宣長の「やまとごころ」とは、ものに感じやすい繊細で鋭敏な十六乙女の心をいう 戦争目的で運用を誤ったが、「八紘一宇」とは本来、地上の生き物を仲間たちとみる視点である 

○日本語(やまとことば)は垂直軸の感性用語 詩歌表現に向く 論理構成には向かない だが、今期の文明(水平思考)の行き詰まりには有益な提言が可能 垂直軸をもつ言葉だから
  
○戦闘の場面では、論理的にではなく感覚的に対処する メカニックな集団戦にでなく、剣技など個人の感性と能力に才能を発揮する

○ものづくりでは、新開発や発明よりも手先の感覚で勝負 コスト意識に乏しく、「誇り」と「恥」で動くのが世界に類例のない日本の職人たち 捨てるべきではない国の宝

○学習成果としての能力よりも天分、天賦の能力(良知良能)で対処 直心影流の剣でいう「直心」の存在に光を当てることで人知を超えた世界が見えてくるが、教育法を考えないと普遍性をもちにくい

 
「道」と「術」 

○「道」とは観念 「術」とは行動
 本稿では武術を、危険を知り危険を回避するための危険学、一種の行動科学として追究する この視点からは「礼」もまた「危険に対する感度」を核とする行動科学である 人の心の動き(危険)が読めなくては礼も剣もどう動けばよいかが見えない 危険を知るのは感性の領分 危険に対処する動き方を「術」と呼ぶ 手法、テクニックのことだが、原子エネルギーの危険性に気付かなかったのは致命的 自分の「都合」や「事情」のために相手が見えないのだ 征服するつもりが征服されてしまった これは剣にもどって考えれば、ごく初歩的なミス

○道徳教育と学校武道の相互関係について
道徳教育が「やさしさ、いたわり、おもいやり」にとどまるうちは行動には結びつかない 武道の鍛練法は本音と本音の真剣勝負である この勝負に勝ち抜くためには決して無視のできない勝負の鉄則があるが、これが「道」 ものの道理のことである 
この視点からは分野を問わず技術者とはすべて「求道者」である 道を踏み外したら天罰あるのみ オテントサマが見てこざる 今次文明の自滅の構造 おそらく今回の「必修武道」が、残された最後のチャンスだろう

○実践論としての勝負哲学 
ものごとを「成功と失敗」の図式、「勝ち負け」の図式に置き換えることにはどんな利点があるか 
まず単純化することで頭が片付き、行動化が容易 比較検討によって結論が出やすい 筆者の場合、『孫子』が有益だった ぐずぐず言っていても始まらぬ、この場をどう切り抜けるのか? 頭デッカチの筆者の場合、これが収穫だった 日本武道を「金メダル」に終わらせてはならない

○戦略論(兵法)と戦術 観念論と各論
視野のとりかたの問題だが、行動論としての本稿は問題の所在を明らかにするために、多少の乱暴を承知で我々の行動のすべてを一つの勝負の場面に置き換えてみた すると剣術を拡大すれば戦略論となり、場を置き換えれば政治手法となり、政策を対人関係の場へ移せば「礼儀作法」になる すべて危険に対する感度が羅針盤の行動論である
わが国の学校教育では「行動」を教えない 道徳の時間はあるが、その内容は「基本的人権」のほかには「やさしさ、いたわり、思いやり」しかない それで「武道必修」というわけだろうが、腕力レベルの武道しか視野には入っていない 人とは「考える葦」 「知」の戦力化を講じてこそ現代の武道教育

現代は「頭脳戦」の時代
刀槍の時代は明治維新で終わった 現代は頭脳戦の時代だ 頭を切り替えよ
どう切り替えるか
義務教育課程での「武道」では、「無事故」は必須の条件になる
無事故とは文字通りの「事故ゼロ」でなければならない そのためには指導者は教師としてではなく、「必修武道」にわが子を託する親の立場で子供たちの前に立て もし子供たちに傷を負わせたら「自裁自決」の覚悟で子供たちの手をとれ 現代とは刀槍の時代ではない 少年たちの実人生に有益な、「知」の戦いの鉄則を教えよ 関係者諸士にその覚悟と用意はあるか
生涯を武道とともに過ごしてきた筆者は、そのための助言として本稿に松浦静山の「礼剣同源」論を援用した 筆者独自の視点からの「武道行動学」の提示である ご活用願いたい 告訴騒ぎをひきおこして、法廷に「被告」として立たされないためにも ▲▲
スポンサーサイト

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

[edit]

« 号外 今期からの義務教育の「必修武道」関係者諸士へ 其の三  |  号外 今期からの義務教育の「必修武道」関係者諸士へ »

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://nonakahihumi.blog.fc2.com/tb.php/102-2bd774fc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。