01 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28. // 03

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | 本文: --

行動文化(187) 龍神様2 

(つづき)  一同「なるほど」という顔で聞いていたが、その中の三十半ばの男が突然、「私は蛇屋をやっていたことがあって蛇類の習性はよく研究して知っていますが、△△さん(霊媒)に憑かるのは縞蛇ですよ。お憑りのときの動作が縞蛇そっくりです。たしかに縞蛇です」これでみんなドッと笑い崩れてしまった。

 つぎにキツネの霊が憑依する霊媒者の例。
 建築用の土地のことでみえた四十八歳の婦人。「じつはご近所の奥様のすすめでお稲荷さまのお告げが聞けるという△△教のお婆さんの教会へ行って、お稲荷様に伺って頂きましたら、今年そんな事をしたらお前さんは今年の秋までに死ぬぞといわれました。でも今年でないと住金の抽選にあたったおカネが使えません、せっかくの幸運がおじゃんになってしまいますと申しますと、ではもう一度おうかがいしてみようとのこと。
 お婆さんは合掌してしばらく。そいて、只今お狐さまが伏見から五人みえてござる、お一人様に千円(昭和四十六年)都合五千円お供えすれば土地を買っても死なぬようにり計らうぞよ」とのこと。
持ち合わせがなく、「主人に相談いたしまして」と辞去したのですが、帰りまして主人にさんざん叱られてしまいました、でもやっぱり気になりますので、とのこと。
 「行ってみましょう。つれていって下さい」。
着いてみるとおりしも霊交の最中。老婆が神前に合掌。信者らしい女たちが坐ったままの姿勢で膝を叩きながら跳び回っている。光線の具合のよい位置で老婆をみると、褐色の霊光がさかんに立ち昇っている。遠慮はみんなのためにならぬ。よろしい。
 「ほう、たくさんのキツネだ。しかしみんな雑魚(ザコ)だ。
 老婆がぶっ倒れ、霊光は消え、信者の女たちはポカンと放心状態。
 帰り道、婦人にはよく説明し、すぐ土地を購入されるよう勧めたが、婦人はその秋が過ぎても死なれることはなく、木の香も新しい新築の家でお元気。
 ちなみに、狐霊のかかる人はピョンピョン坐ったままで跳び回り、亀の霊のついた者は襟もとから首を出したりひっこめたりする。身をくねらせて這い回るのは龍ではない。シマヘビかどうかはともあれ蛇霊。
※近刊案内  『武士道と武道(英文)』  『予知』――いま甦る古代支那の開運の科学  『垂直思考』――思想家野中日文の筆業の総決算  『美術カレンダー(部数限定)』 ――剣者野中の筆のすさび         
ヘッドライト大阪 (06・6609・9750)
スポンサーサイト

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

[edit]

行動文化(186) 龍神様 

(前回に続く)要求されて困りきっている、このことについてもご意見を聞きたいから一度同行してくれないかといわれる。それで例会の日に行ってみた。
 ついた時はちょうど霊交の最中で、霊媒者が祭壇の前に腹ばいになって蛇がのたうつように這い回っているところだった。この様子を一見してこれは蛇霊だと直感、末座から霊媒者の前額部をみると茶色の霊光が盛んに立ち昇っているが、三分とたたず霊媒者は立ち上がってキョロキョロと廻りを見回す。私(玄通子)は思わず笑い出した。会員たちは私と霊媒者とを見比べて怪訝な顔。
 この霊媒者は五十すぎの背の高い神経質な男。印堂に二本のタテ筋。眉目は細く釣り上がり、唇は薄く、法令は赤く、表情は蛇面そのもの。度重なる蛇霊の憑依で相貌が蛇類に変わってしまったのである。
 霊道宮を暗濛食が蔽い、印堂に赤色が立ち凌雲には白ナマズのような枯白色(邪霊憑依)が出ていた。この人はこのままではあと三,四年の命と思ったことであった。人間の高級な意識が低級な蛇霊との交流で失われつつある状態がこの霊媒者の相貌だった。
 「今日のお告げは?」と主催者らしい老人が問うと、「今日は龍神様はほかへ急いで行かなければならないから長居はできないといって発たれました」
と霊媒者は、私の方を鎌熊日をもちあげるような格好で盗み見る。参会者たちはなあんだとつまらなさそうに顔を見合わせたが、院長女史が参会者たちへ私を紹介して「何かお話を」と切り出されたので、私は観相したままをのべ、龍神などと僭称しているが、這い回る様子からみて憑いていたのは相当の年功を経た蛇霊であること、長居はできないと出て行ってしまったのは私が霊媒者の観相を始めたため、私に高級な活動神が浸透してこられたので蛇霊が驚いて逃げ出したのであること、高度な理性意識体である活動神に出合うと低級な動物霊は霊体が破壊される恐れがあること、私自身にそういう力はなくても観相の三昧境に入ると活動神との交流が即座に始まるのでどんなに霊媒者が心魂を凝らして祈りあげても動物霊は絶対に近づかないこと、宇宙意識(神)の固体界での最高発展体である人間が進化の段階にある動物霊などと交流することは、人間の高度な意識を動物霊に提供する事になって、動物霊はそのために強化されるが、霊媒者たる人間の方は逆に意識が弱体化して天壽を全うできないことなどを二時間ほど話した。――つづく

※近刊案内 『武士道と武道(英文)』 『予知』――いま甦る古代支那の開運の科学 『垂直思考』――思想家野中日文の筆業の総決算  『美術カレンダー(冊数限定)』――剣者野中の筆のすさび  ヘッドライト大阪(06・6609・9750)

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

[edit]

行動文化(185) 霊能 

「超能力」として知られているものに霊能、霊感、霊媒(憑依)の三種類があり、またそれとは別に霊視、霊聴、霊語の別がある。
霊語の可能な者は世界にも数えるほどしかいない。霊能者が霊能活動に入るとその意識は全面的に神智圏に占入して小宇宙(額部)から金色の霊光が陽炎のように立ち昇る。
太古、幽現の意識交流がきわめて縁勝であった時代にはこの金色の霊光も日常に見られたであろうが、今日のような自己防衛意識を片時も離れられぬ社会では活動神との交流が自覚的に可能な者はほとんどいない。大陸での修行中には私(先師玄通子)も度々みたことがあるが、帰国してからはまだ一度もみていない。霊能者は日常的に意識の三分の二は神智圏にあって、つねに活動神との交流が行なわれている。

 第二の霊感とは電性意識(我欲、我見、我執)の自制が可能な者に発現する。余念なく仕事にうち込んでいる時などが発現の時。しかし霊能者とちがって霊感者の霊交は無自覚のものだから、三昧境から意識がもどれば普通の人。
 霊感が訪れている時は、小宇宙(前額部)から紅紫の霊光が立ち昇っている。
この霊光は、霊能者のものに比較してかなり容易にみることができる。
日支事変勃発の前年、河北省曲陽県の恒山の山麓にある道教の寺に泊まった時、観主との老荘についての談論風発の場で、話に熱中した観主からこの紅紫の霊光が盛んにたちのぼっているのをみたが、とくに珍しい事ではない。
 憑依は別として霊能と霊感の場合は活動神群との交流だから理性意識のつよい者ほど可能だが、しかし霊媒への憑依の場合はかかってくるのがみんな動物霊だから、さきの二例とは逆に普通人よりも知性の低劣な者か、または電性意識の異常に興奮しやすい者に多いわけで、常識人の場合は波長が違うから動物霊レベルとの交流は起こらない。巷間よく霊媒クラスの者が霊能者と思いこまれている例を見かけるが、覚えていたほうがよいのは、このクラスの霊媒はやたらに建物や金品をほしがるということ。
 昭和二十七年の夏のことであった。東京の某洋裁学院の院長さんがみえての談話に、友人の勧めで龍神さまがかかるという人を中心とする会に入ったが、どうも腑に落ちないことがある、品川の著名な女学校の校長さんの某女史もこの会に入っていて、最近この人の家屋敷を龍神さまへ提供するように(つづく)
※近刊案内  『武士道と武道(英文)』  『予知』――いま甦る古代支那の開運の科学  『垂直思考』思想家野中日文の筆業の総決算 『美術カレンダー(部数限定)』――剣者野中の筆のすさび  ヘッドライト大阪(06・6609・9750)

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

[edit]

行動文化(184) ウッディガスリー 

小生出不精。海外はむろん、上野から北へ行ったことがなく、また行きたいと思ったこともない。が、最近、心を動かされている歌がある。

水の流れに花弁を そっと浮かべて泣いたひと 
わすれな草にかえらぬ恋を 思い出させる信濃の旅よ 
  あすはいずこか浮き雲の 煙たなびく浅間山 呼べどはるかに都は遠く 秋の風立つすすきの道を ひとりたどれば草笛の 音色かなしき千曲川 
   寄するさざ波 暮れゆく岸に 里の灯ともる信濃の旅よ 
                       (千曲川 山口洋子 詩)
 これをいま歌っている。声には出さない。黙唱。こんな歌い方があるかどうか知らないが、ハタ迷惑ではないし、どこででも歌っていられる。歩きながらでも、寝ていてでも。黙唱の要領は呪文で覚えたのだが、たとえば遭難死の仲間の慰霊祭などでの「黙想」とは古来、この黙唱なのである。声に出すと呼吸でとぎれる。だが黙唱にはこれがない。呼吸に関係なく続けられる。たぶん一日中でも。今宵、ひとつ覚えた。地響きのするような超低音での黙唱の効果。無用な感傷が去る。やってごろうじませ。
 出不精の小生のことだ。とくに行ってみたいところはないが、信州だけはべつ。鎌倉円覚寺以来の盟友伊藤真愚の本拠地。小生の青春は彼等とともにあった。つまり小生にとって「千曲川」とは盟友伊藤。愚直の男。寄するさざ波、暮れゆく岸に、里の灯ともる信濃の旅よ つまり千曲川とは小生にとっての胸キュン。うふ。オトメチック? 左様。これが超低音で消えた
 小生このごろ無聊。ほとんど生まれたついでに生きている。そこへボブディランの「風に吹かれて」。こんな声で歌う奴がいた。いっちゃあ悪いが日本の野郎どもの歌い方は変態野郎の泣きごと。そのB・ディランの師匠ウディガスリーの歌を夜中に聴いた。はっきりいってディランより小生の好み。
なぜ日本男児は泣き虫に? 井上陽水の「いっそセレナーデ」も泣き節だが、この場合は小生も泣き虫の本性にもどる。つまり小生の中には面癖の悪い皮肉屋がおり、育ちきらない十六のワルガキも同居している。草笛の音色かなしき千曲川の、暮れなずむ岸辺の里の灯――ええい! 泣くんなら泣いちまえ、ガキのころのように。わるいか。
 
 ※近刊案内  『武士道と武道(英文)』 『予知』―いま甦る古代支那の開運の科学 『垂直思考』――思想家野中日文の筆業の総決算 『美術カレンダー(部数限定)』――剣者野中の筆のすさび  ヘッドライト大阪 (06・6609・9750)

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

[edit]

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。