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行動文化 (127) 気色相法 

さきの二篇は予知だったが、これは少し趣がちがう。気にしているものは相貌上にこんなふうに現われるという実例。
四十三歳の男。上額部に暗濛色が立ち、歪んだ観音像が燃えている。鼻、瞼(上下のまぶた)に暗色が交差、小鼻が赤梨皮のように汚れ、ここから発した気線が赤色を発した下顎部から発した気線と口角の斜め上の赤点で出合って左額へ昇っている。
八方塞がり。家屋敷まで他人の手に渡す事になったのを自分が観音像を焼いたせいではないかと思い煩っている相。だがこの男、ちとオッチョコチョイ。脅かしてからかってやれ。
「おまえさん、信仰している観音様を燃やしちゃいましたな」
「!――」
「八方塞がり。家屋敷は他人の手に渡り夜逃げをしなけりゃならん運勢じゃ」
「だれも知らんと思うとったのに、先生どうして観音さんを焼いたこと知っとるの?」
「わしは人相見じゃ」
「人相でそんな事わかんのかよ」
「わかるから初対面のお前さんにそういうた。どうしてまた観音様なんか焼いた? このバチアタリが」
「そ、それなんだがね、あんまりする事なす事失敗続きだもんで△△教へ入って信心を始めたんだが、そこの先生が観音様をまつれ、そうすれば商売が繁盛するといいやがるんで一万円で観音さんを――それも松の木かなんかに彫ったお粗末なやつを買わされて、これで儲かれば一万円は安いと――その時は本気でそう思って仏壇を作って朝晩拝んだです」
「なんといって」
「カネが儲かりますようにって」
「うふ」
「先生おかしいかね」
「おかしい。カネは儲からなかったろう」
「大損した」
「それで怒っちまって、観音様に火を付けた」
「そう。このインチキ野郎、カーッとなって」
「どうも困った事をしてしまったもんだ」
「先生、観音さんは祟るかい」
「ああ、祟るね」
「どうすりゃいい?」
「夜逃げだ」
「先生、ひとの事だと思ってそうむごい事をいわねえでくれよ。なんとかならねえか」
「そんな心がけでは何ともならん。みーんな自業自得。おっ放(ぽ)ったカミさんだって祟ってる(右戦堂の中年女からの神動線が瞳孔にかかっている)。
「カカアは四年前におん出たのにまだおれの運気に障ってんのかよ」
「お前さんがおん出るように仕向けたからだ」
「そう何もかも見抜かれちまったんじゃあ敵わねえ。先生のいう通りにするから助けてくれよ」
「必ずいう通りにするか」
「うん、する」
「んじゃあ家屋敷を整理して、まず舟人足になれ。それから半年たったら屋台車を買ってきて夜泣きソバを売れ。そしてカミさんを連れ戻しにいけ。じつをいうとな、観音さんなんか祟っちゃいない。祟るというお前さんの心が祟っておるだけじゃ」
「わかった。夜泣きソバはじめてカカアを迎えにいく」

 ※書画カレンダー「剣者野中日文の筆のすさび」 2013年 部数限定 
             発行 ヘッドライト大阪 (06・6609・9750)
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行動文化 (126) 予知(2) 

交通事故の予知
これは鬼が笑う明日の災難。六十四歳の砂利屋の大将の顔に横転したトラックが出た。「どうも先方がよこした運転手野郎が気に入らねえ。先生、ひと睨み睨んでくんねえ」と帰朝後東京で人相見の看板を出している師のところへやってきた。天眼鏡をかざすまでもなく、鼻の頭から鼻梁を上へ一本の赤筋。上額部には暗濛色。被害宮に横転した大型トラック。だが死相はまだ動いていない。
「いけません。大ケガの相が動いている。行くのはやめなさい。少なくとも今日一日は絶対によくない」
「そうか。やっぱりねえ。」
翌日、「先生わかったよ。昨日あのトラックに乗ってたら今頃三途の川をうろうろしてるところだった」
「トラックがひっくり返りましたか」
「そうなんだよ先生。運転手は即死さ」
「現金なものですね。もう眉の上のトラックは消えています」
「ほんとかね――いやありがたい。先生ひとつ拝ましてくれ」
「何を?」
「先生を」
「冗談じゃない。私はまだ線香や花を飾って拝まれるにはまだ五十年はあります。拝むなら即死した運転手の方でしょう」
「先生そういう意味じゃねえよ、命の恩人としてだよ」
「それならあなたの心の中の神様を拝まれたらいい。その神様があなたをここへよこされたのですから」
「よくわからんね。先生は学があるからリクツをいわれるが、わしらは石ころが相手だから先生のリクツはよくわからんよ。なんだな。先生は要するに謙遜してるんだろ」
「いや謙遜もあるがほんとの事を云ってるんですよ。あなたの命を護ったのはあなたの高度な理性力です。これは学問ではどうにもならない力で、あなたの六十年の生活が作り上げたものです。あなたは真剣な日蓮宗の信者だが、その信仰心が貴下の理性力となって災難から護ってくれているのです。
「するてえと信仰のせいだと?」
「そうです。」

※書画カレンダー 剣者野中日文の筆のすさび (2013年 部数限定)
             発行 ヘッドライト大阪(06・6609・9750)

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行動文化 (125) 予知 

「骨相」というものがある。昭和は戦争の時代だったが、新兵を採用する徴兵検査ではまず身体的な特徴(骨相)をみた。
簡単に言うと骨相とは労働適性を見るのに便利。身長・体重・胸囲をみるのではない。骨格だけでなく目、口、鼻、耳などの、いわゆる「人相」もみる。おっと、「声」もこの中に入る。どの方面の意識作用が活発だからどんな仕事につけば成功しやすいという事は簡単に判る。いまなら中学生たちの進路指導には重宝するから、学校の先生方は基本的なことを学んでおかれるとよい。
といっても今、本格的な骨相の本はない。宣伝をさせてもらう。古代支那の伝承をもとに筆者が書き上げた。秘伝とされる「気色」の見方をふくむ『予知』というタイトルでヘッドライト大阪から世に出る。
骨相は労働適性や一生の運勢をみるのには便利でも、目前に迫っている交通事故などは判らない。これを予知する方法はべつにある。「気色相法」がそれだ。明日のことをいうと鬼が笑う? なにをいうちょるか。あさっての出来事が今わかるという話をしているのだ。

気色相法 
上記の「気色」の見方である。これは肉眼では無理。霊眼を使う。訓練すれば見えるようになる。実例を示そう。
筆者の師は北京大学に在学中に現地応召、山西と河北の省境にある大行山中で共産ゲリラの八路軍とドンパチやっていた。この八路連中、装備は貧弱、士気は低劣、こっちが出ていけば雲を霞と逃げる。
だが厄介な敵は友軍の下士官の中にいた。人殺しの日常の中で殺人中毒、ついに変態的嗜虐症(サディスト)、現地応召組の老兵たちを理由もなく殴り、蹴る。耐えかねて八路側へ逃亡する兵も出た。
そのうち筆者の師へお鉢が廻ってきた。名指しで「出てこい!」。部屋へ入ると殺人中毒の変態野郎。いきなり頬へ「パーン!」ときた。いつ終わるとも知れぬ往復ビンタ。こっちは殴られながら変態野郎の顔を凝視。殺人鬼の上額部に濛々たる暗色。この中に伏したり仰向いたりしている無数の人の顔。そこから神動線(気線)が鼻梁を通って準頭(鼻先)へ向かい、また額の中央から分かれた神動線は左に分岐して瞳孔を貫いて走っている。明明白白たる死相――
翌々日この殺人鬼、頭部に八路の銃弾を受けて即死。

※ 書画カレンダー 剣者野中日文の筆のすさび (2013年 部数限定) 
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行動文化 (124) 剣術とは人を斬る術 

佐々木只三郎とは旗本の幕臣。龍馬を斬ったともいわれ、新撰組をかきまわした策士清河八郎を斬った男として知られる人物だが、江戸赤羽橋で清河を斬ったときの斬り方に、当時の剣客たちが剣技というものをどう解釈していたかが窺える。剣術とは人を斬る術なのであって、それ以上でも以下でもない。昨今の剣道とは無論ちがうが、もっともらしい道徳論とも関係ない。
乱戦の場合は別として、剣術とは要するにその相手を間違いなく斬れるという状況をつくって斬るだけのことなのだ。そして腕もアタマも強い側が勝つ。バカが負ける。清河八郎は弁も立つが腕も立った。この清河を斬るのに佐々木はどんなふうに斬れる状況を作ったか。
 そのとき清河は酔っていた。前方から顔見知りの、京市見廻り組の佐々木がやってくる。その佐々木が目の前で立ち止まって、「お! これは」と言いながら笠をとって挨拶をするから、清河も答礼のために笠をとろうとした。そこを佐々木の抜き討ち。たぶんひとたまりもなかったろう。

 この佐々木只三郎とはどんな器量骨柄の男か? 中肉中背、色浅黒く、笑うと両頬にエクボができて可愛らしい顔になったと本人の姪が語っているが、土方歳三同様によく女たちにはモテたという。人となり無垢淡泊、不器用で素直。職務に忠実で短歌を嗜んだ。陰険な策謀家のイメージではない。
 つまり清河を斬るのに佐々木が用いた笠をとる所作とは、当時の剣者たちの間ではとくに異とするには当たらない戦術なのであって、おそらく佐々木本人にも卑怯な手をつかう意識はなかったはずである。かりに龍馬を斬ったのが佐々木だったとしても、旧知の者と身分を偽って龍馬の部屋へ入ったのは腰刀の間合いに入るための策。斬られた龍馬の不用意。拳銃の銃口を刺客へ向ける余裕さえなかった。競技スポーツとなりはてた武道とはちがって、古来の武道には初めもなければ終わりもない。これが「常在戦場」。このあたりにスポーツマンと武芸者との本質的な違いがあるのだ。
武道を文化財や骨董品にしないためには、何よりもまず武道の言語化が急がれる。そして武道とスポーツとの違いをはっきりさせ稽古法を考え直すことだ。それにはまず『孫子』を読み返してみることだろう。冒頭にこうある。「兵は国の大事。死生の地、存亡の道、察せざるべからず。」命は一つしかない。スポーツ武道には「敗者復活戦」があるが剣術の場合、敗者とは死骸である。剣者たちの脳裏には「戦術」はあったが「卑怯」の二字はなかった。
※書画カレンダー「剣者野中日文の筆のすさび」(2013年 部数限定)
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行動文化 (123) 武士道 

はじめに断わっておく。ここでいう「力」とは筋力のことではない。政治力をふくめた知力のことだが、しかし「知力」というとまた「精神力」と間違える。太平洋作戦の敗北で懲りたはずだ。
その「精神」は、政治力や財力や戦略に置き換えられてはじめて「力」になる。具体的に言えば太平洋戦の場合、「精神」とは竹槍ではなく飛行機であり空母であり弾薬だった。さらに一歩踏み込んでいえば太平洋戦へなだれこんだハワイのパールハーバー攻撃とは、いわれているような卑怯なだまし討ちの先制攻撃ではなかった。ドイツを叩くための口実としてアメリにおびき出され踊らされた、恥知らずでぶざまな茶番だった。
欧米はアジアの黄色人種を人間とは思っていなかった。この日本軍の無知。彼を知らず我を知らず。勝てるものか。
 「精神」に似た響き方をする言葉に「清貧」がある。中野孝次氏の『清貧の思想』は記録的な売れ方をした。1、内容空疎 2、マスコミ絶賛 3、バカどもが有り難がる この三点セットは『バカの壁』の場合によく似ている。
「清貧」についていえば、清貧とは「知足」の謂いなのであって、乏しきに耐えることではない。そもそも「清」も「貧」も君子の意識にはない。どうでもよいことだ。清貧を口にするのは己れの無力の美化。ハッキリいえば甲斐性なしの自己弁護。女たちは甲斐性なしを男とは思っていない。
 
日本武道は死生観を失って、いまやラチもないスポーツ競技になってしまったが、こんな状況の中で講道館の嘉納治五郎を思い出す。この人の「精力善用自他共栄」に対する、これは武道論ではなく経済論だという意見は今もあるが、経済論でどこが悪い。経済とは経世済民の略称。つまり政治の要諦。嘉納治五郎はすぐれた政治家でもあった。講道館柔道を警視庁に売り込んだ手法にこの事はよく現われている。嘉納がいたら日本柔道とヘーシンクとの勝負など許さなかったろう。理由? 戦略的でない。ヘーシンクに勝つ事などどうでもよい事だ。オリンピックへの参加も同じこと。もっと大事なことがある。日本武道とは力の科学である。力とは筋力ではない。人とは知の生き物。武道で研ぎ澄ました知力を匹夫の勇のレベルでなく、小は自分個人の経済力から大は世界経済に活用しなければならない。孫子、蔚繚子を読むことだ。孫子と聞いて首をすくめるようで経済戦に勝てるものか。金メダルなど、もらう側ではなく与える側に廻ることだ。他人にホメてもらっておぬし、うれしいのか?
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