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行動文化(115) 西南戦争(補遺) 

西郷を総括。智謀と剛腕で日本の近代化をなしとげた。成し遂げて引退した――のだが、引き際を誤って、あたら有為の若者たちを死なせた。その罪万死。みずからも高股と腹部に銃弾を受け、故山の城山でそばに従っていた別府普介に、「晋どん、晋どん、ここらでもうよか」。別府晋介「ごめんなったもんせ」と抜刀介錯。そして西郷を追って割腹自決。地獄まで随行。
不世出の革命児西郷吉之助、必要とあれば眉ひとつ動かさずに無辜の民をも殺し、かと思えば、ものに感じて少女のようにすすり泣いたという。
ハッキリと悪党であれば相手のしようもあるが西郷、敵よりも味方が圧倒的に多い。天が遣わした近代化の申し子。責めてみてもはじまらぬ。こんな風に出来ている、「矛盾」が着物を着ているような南国型の大男。
敵身方、多くの好漢を死なせた無謀の戦場、激戦地田原坂は連日雨だった。
 ♪雨はふるふる人馬は濡るる 越すに越されぬ田原坂
    右手(めて)に血刀 弓手(ゆんで)に手綱 馬上豊かに美少年
小生記憶の手まり唄 ――♪橋の欄干腰おろし はるか向こうを眺むれば 十六・七の小娘が 片手に華もち線香もち ――もしもしあなたはどこの人 私は九州鹿児島の 西郷隆盛むすめです 明治十年三月十日(事実は9月24日) 切腹なされし父上の お墓参りをいたします ――記憶違いをまじえて途切れ途切れに甦る。筆者の里は、肥後熊本で敗れ東回りに日向へ出て、高鍋経由で薩摩の城山へ向かったかと思われる西郷勢の通路沿いにある。現在の国道10号線。子供の頃は「オ―カン」(往還)と呼んでいた。どう書くかは知らなかった。
祖母(ツネ) が西都から嫁いで来てまもなくのころだったという。家の前を通る西郷勢の一人が祖母をみて、「飯炊き女にもらっていく」と浚(さら)って行こうとしたから祖母が騒いだ。祖母の祖母、つまり筆者の曾々祖母(イネ) が祖母(ツネ)の叫び声を聞きつけて駈け出してきて、「西郷さんにも似合わん事をなさる」と奪い返したと祖母から聞いた。筆者はこのツネ婆ちゃんに育てられた。
ツネ婆ちゃんはまだ機織りをしていた。山畑に桑を植え、母屋で蚕を飼い、糸をつむぎ、染め、織って、ヨチヨチ歩きの筆者に紬地の袷(あわせ)と羽織を縫って着せて、筆者の手をひいて村中を連れ歩いた。小生あのころ、口は小さいが眼が大きくて光っていた。「これは孫で」とみせびらかして歩いたのだが、婆ちゃん子は三文安い。筆者はその三文安い婆ちゃん子、つまりマザコンならぬババコン。それですっかり発育が遅れた――おっと、発育が遅れた、は正確ではない。世の中の仕組みが見えてくるにつれて年齢退行、いま手のつけられぬ皮肉とイヤミと毒舌のキカンボ。だから安くても買い手がつかない。
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