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行動文化(118) 無刀流の剣 

のそのそ剣の山岡鉄舟 一刀流の山岡鉄太郎、のちに剣を離れて無刀流を立て、道場を春風館とした。電光影裏に春風を斬る(禅語)の「春風」。無刀の剣理を問う者があると、「なあに、ここへ納めるのです」と、ポンと下腹を叩いた。
これはまあ、なんとか解る。が、解り難いのは、その鉄舟が道場ではいくらでも打たれている――つまり打とうと思えばいくらでも打てるが――ときどきヒョイと突きをもらう。のどに風穴があいたようだったと。
 いくらでも打てたのは、鉄舟は動かずに「見切り」の稽古をしていたのかとも思うが、しかし打つ側からすればこれでは稽古にはならん。
 鉄舟にとって剣とは何だったのか? むろん武士の嗜みだったのだろうが、この「武士のたしなみ」とは「選手権」でも「金メダル」でもない。そんな武道はいまの日本人には見えにくい。
 しかし「無刀」は現代的。心術としての剣そのもの。小生の「武道行動学」もこれ。勝った負けたはもうどうでもよい。いい年をしていつまでもチャンバラごっこでもなかろ。
鉄舟の「打とうと思えばいくらでも打てた」というのは精神の位どりの問題。筆者の先輩方は真剣を離れた竹刀剣道を「ささら踊り」と呼んでいたが、無刀では心術が使えなかったら「ささら踊り」でさえない。
 老婆心としてもう一度。他人と技くらべををする気など、鉄舟にはなかった。メダルも選手権もあるはずがない。この言い方は武道やプロスポーツとは無関係の人たちにはわかる。「アスリート」と呼ばれて喜んでいるような連中にはわからん。技くらべが面白いなら、気のすむまでやっておれ。
 最近『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』という新刊書を書店でみかけて拾い読みをしてみた。「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」の木村政彦。戦後プロ柔道をへてプロレスの世界へ。そして商人正力松太郎の餌食になった。柔道からプロレスリングの世界へ移った者にはオランダのヘーシンクがいる。神永を破ったヘーシンク。読売ジャイアンツを作った正力が、テレビ放映権で稼ぐために柔道の木村と力道山を蹴合わせた。そう、軍鶏(しゃも)のように。キャッチコピーが「昭和の巌流島」。「引き分け」の予定だったというが正力の目的はテレビだからそんな事はどーでもよかったはず。この「巌流島」の結果? むろん正力が儲けたさ。力道も木村も正力を太らせる事に奉仕した。人を投げる事しか知らないとこうなるぜ。おい。この正力が次に合気道と力道を蹴合わせようと企てた。そして二代目植芝吉祥丸に体よく追っ払われて器量を下げ、本流合気道は「君子の武道」として名を挙げた。▲▲
※近刊予告 『武士道と武道(英文)』(ヘッドライト社)
※発刊案内 『美術カレンダー』(部数限定) ――剣者野中日文の筆のすさび
      『予知』――いま甦る古代支那の開運の科学
                   へッドライト (06,6609,9750)
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行動文化(117) 昭和の武士道(2) 

カミカゼ特攻 250㎏の爆弾を機体に抱かせて敵艦隊へ向かう特攻とは、太平洋戦に勝つための作戦ではなかった。
立案者の大西中将とは軍需省という軍の台所にいた人物。あの時期、もう日本には戦える余力はなかった。軍用機用のアルミはあと半年分、燃料もスマトラへ運べる状態ではない。動ける今のうちに講和しなければというのが中将の胸中。さらに語をついで、――しかしガダルカナル以来、押され通しでまだ一度も敵の反攻をくいとめたことがない。一度でも敵をレイテから追い落とし、敵へはあくまでも最後の一兵までの気迫をみせておく必要がある。 
特攻によるレイテ防衛について、これが成功すると思うほど大西はバカではない。ではなぜ戦略的には無意味とも思える特攻をと思う者もあろう。しかし、ここに信じてよい事が二つある。一つは、講和の形がたとえどんなものであれ、「日本民族がまさに滅びんとする時、身を以てこれを防ごうとした若者たちがいたという事実と、これをお聞きになった陛下ご自身が御みづからの御仁心で止戦せられたという、この二つの事実」が残る限り、500年後千年後の世に、必ずや日本民族は再興するだろうと語っている。
 
なお大西は語を継いで、次のようにも。
陛下御みづからの御意思で終戦と仰せられれば、いかな陸軍でも青年将校でも従わざるを得ない。これは大西一人の考えではない。海軍の総意とみてよい。東京を発つ時に海軍大臣と高松宮に状況を説明、内諾を得たものと思っている。  
ただし、いま東京で講和の事など口に出そうものなら暗殺。死は恐れぬが、軍人として戦争の後始末はつけねばならぬ。
また宮様といえども進言など受けられた事がわかったらお命の保証はない。強敵を前にして陸海軍は抗争をおこし、国内は内乱。
陛下のご意思で戦争をやめよと仰せられたとき、私はそれまで陛下を欺き奉り、下将兵を偽りつづけた罪を謝し、民族の将来を信じて必ず特攻隊員たちの後を追う。後世の史家の如何なる批判をも甘受する。もしほかに国を救う道があるならば参謀長、聞かせよ。なければおれに賛成してもらいたい。(私は策はないので同意した、と参謀長)
大西は生きて国の再建に努める気はない。たとえこの国が滅びたとしても、建て直しのできる人はたくさんいる。だがこの難局を乗り切れるのは私のみ―――終戦の詔勅。大西中将作法通り割腹自裁、特攻戦士たちの後を追う。(『修羅の翼』(角田和男より)) 
※近刊案内『武士道と武道(英文)』――日本人の条件 (ヘッドライト社)

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行動文化(116) 昭和の武士道 

カミカゼ特攻 もう昔話になる。太平洋戦末期に日本軍は爆弾の命中率を上げるために、戦闘機の胸に爆弾をとりつけて敵艦に体当たりをした。むろん正攻法ではない特別攻撃、略して「特攻」。作戦の実態がインタネットの映像として公表されている。自分自身が爆弾を操縦して的中率をあげようという自爆攻撃だが、鳥肌が立つようなすさまじい映像である。
 日本人は追い詰められるとこんな戦い方をする。この特攻作戦、初期にはかなりの戦果を挙げている。しかし消耗も早い。アメリカに与えた心理的な圧迫は別としても戦局の立て直しには無効だった。
そもそも太平洋戦自体が勝ち目のある戦いではなかった。
 今、あらためて思う。太平洋戦を日本の侵略戦争と呼んだのは、戦争にはつきものの米英のプロパガンダ(宣伝工作) 。やすやすと乗っかったのが日本人のお人よし。「侵略」をいうなら太平洋戦とは米英側のアジア侵略。太平洋作戦の発端である日本側のハワイ真珠湾突入とはアメリカが仕掛けた罠(わな)。日本を追い詰めたハルノ―トの裏にはソ連が動いていたはず。
日本にとって太平洋作戦とは、米英側のアジア侵略に対する日本人のプライドと「意地」の戦いだった。これを日本では「一寸の虫にも五分の魂という。
アメリカは特攻を「自殺攻撃」と呼んだが、視点がちがう。西側と東側との価値観の違いなのか。自殺の場合は目的は「死」だが、太平洋戦や特攻の目的とは、米英のホワイトパシフィック(白人の太平洋) 構想という有色人種蔑視の傲慢な態度への「反撃」である。アメリカの場合、この態度でアフリカで奴隷狩りをし、東半球の原住民の土地を奪って勝手に「アメリカ」大陸と名付け、イギリスはインドへ侵入して植民地支配をつづけてきた。これが太平洋戦の裏側の事実である。インド独立の父ガンジーは次のような言葉を遺している。
 「あなた方は私の死体を手に入れる事はできても、私の「服従」を手に入れる事はできませんよ」 独立運動を封殺しようとするイギリスへ向けての言葉だが、マハトマ・ガンジーのマハトマとは「偉大なる魂」。つまりガンジーとは「不屈の魂」。肉体ではない。無論これは「無抵抗・不服従」方式というガンジー特有の捨て身の戦法であっておそらくガンジー以外には不可能だが、しかしこの言葉をライトアップする時、なるほど人とは肉体ではない、人とは霊魂なのだという視点が生れる。そして力の世界を貫流するきわめて説得力の強い、けっして古くならない戦い方があるのだという事に気がつく。結局ガンジーは刺客に殺されたが、インドのパール判事は東京裁判で欧米のアジア侵略を論証した。そして無視された。なるほど、侵略者側としては無視しかなかろう。
※出版準備中 『武士道と武道(英文)』――日本人の条件(ヘッドライト社)

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剣者野中日文の筆のすさび~平成25年書画カレンダーのご紹介 

書画構成

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行動文化(115) 西南戦争(補遺) 

西郷を総括。智謀と剛腕で日本の近代化をなしとげた。成し遂げて引退した――のだが、引き際を誤って、あたら有為の若者たちを死なせた。その罪万死。みずからも高股と腹部に銃弾を受け、故山の城山でそばに従っていた別府普介に、「晋どん、晋どん、ここらでもうよか」。別府晋介「ごめんなったもんせ」と抜刀介錯。そして西郷を追って割腹自決。地獄まで随行。
不世出の革命児西郷吉之助、必要とあれば眉ひとつ動かさずに無辜の民をも殺し、かと思えば、ものに感じて少女のようにすすり泣いたという。
ハッキリと悪党であれば相手のしようもあるが西郷、敵よりも味方が圧倒的に多い。天が遣わした近代化の申し子。責めてみてもはじまらぬ。こんな風に出来ている、「矛盾」が着物を着ているような南国型の大男。
敵身方、多くの好漢を死なせた無謀の戦場、激戦地田原坂は連日雨だった。
 ♪雨はふるふる人馬は濡るる 越すに越されぬ田原坂
    右手(めて)に血刀 弓手(ゆんで)に手綱 馬上豊かに美少年
小生記憶の手まり唄 ――♪橋の欄干腰おろし はるか向こうを眺むれば 十六・七の小娘が 片手に華もち線香もち ――もしもしあなたはどこの人 私は九州鹿児島の 西郷隆盛むすめです 明治十年三月十日(事実は9月24日) 切腹なされし父上の お墓参りをいたします ――記憶違いをまじえて途切れ途切れに甦る。筆者の里は、肥後熊本で敗れ東回りに日向へ出て、高鍋経由で薩摩の城山へ向かったかと思われる西郷勢の通路沿いにある。現在の国道10号線。子供の頃は「オ―カン」(往還)と呼んでいた。どう書くかは知らなかった。
祖母(ツネ) が西都から嫁いで来てまもなくのころだったという。家の前を通る西郷勢の一人が祖母をみて、「飯炊き女にもらっていく」と浚(さら)って行こうとしたから祖母が騒いだ。祖母の祖母、つまり筆者の曾々祖母(イネ) が祖母(ツネ)の叫び声を聞きつけて駈け出してきて、「西郷さんにも似合わん事をなさる」と奪い返したと祖母から聞いた。筆者はこのツネ婆ちゃんに育てられた。
ツネ婆ちゃんはまだ機織りをしていた。山畑に桑を植え、母屋で蚕を飼い、糸をつむぎ、染め、織って、ヨチヨチ歩きの筆者に紬地の袷(あわせ)と羽織を縫って着せて、筆者の手をひいて村中を連れ歩いた。小生あのころ、口は小さいが眼が大きくて光っていた。「これは孫で」とみせびらかして歩いたのだが、婆ちゃん子は三文安い。筆者はその三文安い婆ちゃん子、つまりマザコンならぬババコン。それですっかり発育が遅れた――おっと、発育が遅れた、は正確ではない。世の中の仕組みが見えてくるにつれて年齢退行、いま手のつけられぬ皮肉とイヤミと毒舌のキカンボ。だから安くても買い手がつかない。
※近刊案内 『武士道と武道(英文)』――日本人の条件 (ヘッドライト社)

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行動文化(114) 西南戦争 

西郷の下野の無謀 征韓論に敗れて、ということになっているが、この西郷の下野、どうもおかしい。益満を使っての江戸での荒仕事――荒仕事とはいうが冷酷非情にして周到綿密な、海舟を畏怖させた従来の行動からすると、同じ西郷のする事とは思えない粗雑な下野ぶり。西郷の視野が――茫然とするほど狭隘に、行動も戦略を失ってほとんど子供なみに感情的で幼稚に――西郷、どうしたのか。盟友大久保を江戸に放置しての西郷の下野は、けっして西郷単身の下野では終わらない。必ず桐野利秋、篠原国幹らが西郷につき従う形でみんな下野することになる。これまでの西郷ならそれが視野に入らぬはずはない。   
この時期、熊本士族の神風連の乱、福岡の秋月の乱、山口では萩の乱、その中で西郷のみ何を思ってか――不動。これをかつての盟友大久保が江戸でどう思うかという事を剛腕細心の西郷、なぜ? 
果たせるかな、大久保から仕掛けてきた。薩摩出身の川路大警視ら23人を密偵として送り込んだ。暗殺の密命を帯びていたともいう。さもあらん。
大久保は薩摩士族の力を殺ごうと、陸軍の火薬庫から武器弾薬を大阪へ移送。これが西南の乱の引き金になった。私学校の生徒たちが暴発。「しもた!」(しまった!) と西郷が叫んだというが、「しまった」はなかろうぜ西郷。しまった、のは「下野」ぜよ。「しまった」は聴きとうない。西郷が言葉ではなか。
つまり西郷の舞台は、登場の花道が小御所での「短刀一本でかたづくことでごわす」。見せ場が益満を使った江戸騒乱の、冷酷無残の剛腕。引退の花道が戊辰戦争。下野は論外。革命の申し子、まだ仕事は終わっちゃおらんはず。
熊本攻めは全くの軽挙妄動。コメントにも値しない。西郷に従う桐野は颯爽たる好漢だが、しかし戦略の士ではない。「熊本城など竹の棒一本で叩きつぶしてみせる」と吠えたが、竹の棒は小銃の敵ではない。好漢、惜しむらくは兵法を知らず。叩きつぶせず射殺された。しかし剽悍な薩摩隼人にとっては西郷も桐野も、余人をもっては代え難い立役者。敗け戦にさえ、その負けっぷりに手を叩く。エコヒイキの極み。それにひきかえ大久保は不人気。なぜか? 大久保は冷徹。リクツをいう。西郷にも桐野にもリクツがない。すなわち「義」を云わぬ。ただ行動あるのみ。平成の今も薩摩で西郷や桐野を悪く言うと生きては帰れないが、塩野七生女史は活動期の西郷を評してこう言っている。「私があの時期にいたら(西郷を)ほうっておかない。しかしあの人、後半はまったくのダメ男。先生、いったいどうなさったの?という感じですね」 ごもっとも。西郷・桐野ビイキの一人として小生、塩野女史へ答えておきましょう。西郷さん、維新のあとは病気だったんですよ。老人性の――。
※近刊案内 『武士道と武道』(英文)――日本人の条件(ヘッドライト社)

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