08 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. // 10

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | 本文: --

行動文化(113) 吉田松陰と横井小楠 

日本のアジア侵略 
日本には世界制覇の意思も能力もなかった。
だがアジアの近隣諸国への征覇の意思はあった。その火付け役が、困ったことに松下村塾の吉田松陰。これに明治政府が乗ったという形。
西側列強にとって19世紀はまだ植民主義の戦国時代。これに対して、体力のない日本は列強へは宥和策で応対、西側ドラキュラの吸血手法の矛先を、アジアの同胞へ向けた。
吉田松陰とは、父に「恭しくも思んみれば大日本は神の国なり」で始まる玉田永教の『神国由来』で育てられたコチコチの国家エゴイストである。乗った明治政府も政府だがこの時期、松陰はまだ34歳。
同じ列強の植民侵略に対して、先輩格の小楠はどう主張していたか。

○まず言論政治による国内の近代化。アジアの友邦の近代化を支援。
○西の植民主義へは、日・朝・清らで連合して「東洋の正義」で対抗。
○礼を正してくればともあれ、力づくの列強は排撃。
○列強が日本の非礼を咎めてきたら、京で国際会議、東西諸国の代表を招き、
西洋の植民侵略をこそ万国の公法(国際法)に照らして審判。 
――もし西が無道の侵略をしかけてきたら、たとえ国が滅びても徹底抗戦。西側の仲間入りではなく、あくまでも吸血の非道とは戦うべきだと。

さらに云う。――なんぞ富国にとどまらん。なんぞ強兵にとどまらん。大義を四海に布(し)かんのみ――小楠の眼はすでに現代の「国連」を超えて千年先の世界を見ていた。比較して松陰の意見は、いかにも幼い。政府もまた西郷の下野などの国内事情に忙殺されていた。

無残なり、横井小楠
横井小楠1809~1869。 
預言者、世に容れられず。見えすぎる眼を持った不運。
切れすぎる舌剣は正論を語っても暴言。加えて「酒乱」。
なぜ酒乱? 周囲の無理解への不満が内攻。のまずにいられるか! 
咆哮する。ガキどもはついて行けない。逆恨みの邪推。四民平等の博愛は異教のキリシタンバテレン。開国をすすめるのは売国奴――その生涯は下郎どもに辱められ、おとしめられ、嘲笑され、京で暗殺。ああ――
※近刊案内 『武士道と武道』(英文)――日本人の条件 (ヘッドライト社)
スポンサーサイト

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

[edit]

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。