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行動文化(113) 吉田松陰と横井小楠 

日本のアジア侵略 
日本には世界制覇の意思も能力もなかった。
だがアジアの近隣諸国への征覇の意思はあった。その火付け役が、困ったことに松下村塾の吉田松陰。これに明治政府が乗ったという形。
西側列強にとって19世紀はまだ植民主義の戦国時代。これに対して、体力のない日本は列強へは宥和策で応対、西側ドラキュラの吸血手法の矛先を、アジアの同胞へ向けた。
吉田松陰とは、父に「恭しくも思んみれば大日本は神の国なり」で始まる玉田永教の『神国由来』で育てられたコチコチの国家エゴイストである。乗った明治政府も政府だがこの時期、松陰はまだ34歳。
同じ列強の植民侵略に対して、先輩格の小楠はどう主張していたか。

○まず言論政治による国内の近代化。アジアの友邦の近代化を支援。
○西の植民主義へは、日・朝・清らで連合して「東洋の正義」で対抗。
○礼を正してくればともあれ、力づくの列強は排撃。
○列強が日本の非礼を咎めてきたら、京で国際会議、東西諸国の代表を招き、
西洋の植民侵略をこそ万国の公法(国際法)に照らして審判。 
――もし西が無道の侵略をしかけてきたら、たとえ国が滅びても徹底抗戦。西側の仲間入りではなく、あくまでも吸血の非道とは戦うべきだと。

さらに云う。――なんぞ富国にとどまらん。なんぞ強兵にとどまらん。大義を四海に布(し)かんのみ――小楠の眼はすでに現代の「国連」を超えて千年先の世界を見ていた。比較して松陰の意見は、いかにも幼い。政府もまた西郷の下野などの国内事情に忙殺されていた。

無残なり、横井小楠
横井小楠1809~1869。 
預言者、世に容れられず。見えすぎる眼を持った不運。
切れすぎる舌剣は正論を語っても暴言。加えて「酒乱」。
なぜ酒乱? 周囲の無理解への不満が内攻。のまずにいられるか! 
咆哮する。ガキどもはついて行けない。逆恨みの邪推。四民平等の博愛は異教のキリシタンバテレン。開国をすすめるのは売国奴――その生涯は下郎どもに辱められ、おとしめられ、嘲笑され、京で暗殺。ああ――
※近刊案内 『武士道と武道』(英文)――日本人の条件 (ヘッドライト社)

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行動文化(112) 横井小楠(2) 

短刀一本でかたづく よく知られた西郷のキメ台詞だが、これを「おはんの短刀は切れ申すか」と書き変えた者もいる。なるほど、悪い台詞ではない。
場所は小御所。倒幕派の大久保、岩倉に対して公武合体派の山内容堂は、クーデターは幼帝を拉致して権柄を盗もうとするものだと憤り、この場に慶喜将軍を招けと迫る。筋論である。どうしたものか……岩倉?が外にいた西郷に状況を告げた。「短刀一本でかたづくことでごわす」は、この時の西郷の返事。
のちの西郷の動きを思えば山内容堂の抵抗など西郷にとってはものの数ではなかったはず。ほとんどカマキリが振り上げた鎌程度のものだったろう。ちなみに筆者の師である大森曹玄はこの「短刀一本」云々の西郷の台詞が好きだった。そうだろう。青年時代には街を歩いていると、「おい、見ろ、匕首(短刀)が行く」と言われたと聞いている。短刀――なるほど大森は短躯。禅僧になってからも議員連中の有り様に「国会へ行ってサリンを撒け」と言ったことがある。このごろは見かけないが、乱暴を責めてみても始まらん。志士とは古来こんな生き物なのだ。
大政奉還  さて、短刀一本で片付けられそうになった土佐の鯨海酔侯、さすがに気配に気づいて黙った。度量の人、無理押しはしない。あとは知られる通りの大政奉還劇、結局先手を打って自発的に政権を朝廷に返してきた江戸幕府に肩透かしを食った格好だが、しかしそれで鉾をおさめる西郷ではない。舞台は益満休之助を使っての江戸の騒擾騒乱に移るわけだが、この時の「大政奉還」の裏には横井小楠の姿がチラチラする。松平春嶽に小楠が京への「これまでの非礼の謝罪」を進言していた。次のようないきさつ。
幕府と朝廷の不和に諸大名が加われば国内は内乱状態。西洋列強は好機とみてそれぞれの後押しをして介入してくる。そうなれば他のアジア諸国のように日本も列強の植民地――徳川慶喜が小楠に意見を求めた。そして「なるほど」と感服。幕臣たちには不満は残ったが――それまで。
しかし春嶽には懸念があった。「将軍が上洛して今までの非礼を謝罪したとしても、もし朝命として攘夷を命じてきたときは?」小楠こたえて曰く、「その時は朝廷へ政権をお返しすれば宜しいではございませんか。そして攘夷も朝廷でどうぞと。(このあたりが横井流の舌剣)。――忠言を聞き入れず、出来もしない攘夷をできるかのように仰せられるのは、天下を偽り、あたら忠臣たちを犬死させ、国を滅ぼすことになりましょうぞ」。このいきさつと小御所での激論を照合すると、前後の状況が立体化してくる。結局、西郷も、龍馬も、桂も、また土佐の酔侯に越前の春嶽侯までもが小楠のト書きの上で踊った格好。
※近刊案内 『武士道と武道(英文)』・『日本人の条件』 (ヘッドライト社)

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行動文化 (111)横井小楠 

日本の近代化 周知のように演劇界の役者の動かし方、つまり演出メモに「ト書き」というものがある。書き手である演出家はむろん舞台には出ない。裏手にいて立役者を動かす。歴史にもそんな役回りの人物がいる。西郷、大久保、勝、龍馬といった面々の陰にかくれて動きがよく見えないが、幕末~明治の歴史の裏側にいて日本の近代化のト書きを書いていたフィクサー、酒乱のもてあまし者、肥後の横井小楠だったかと、今あらためて思う。
横井小楠。ひととなり朴実でいて酒乱、大器にして不遇、視野は千里の外を見はるかし、舌鋒鋭く、長州の桂小五郎(木戸孝允)をして「横井の舌剣」といわしめた。なかなか人をホメない皮肉屋の勝が、「恐ろしい男を二人みた。一人は西郷。もう一人は横井。横井の思想を西郷の腕で行なわれたら万事休す、遮れる者はいない」と語っている。はたせるかな西郷が登場。冷徹非情な剛腕をふるって国を作り変えた。
横井流実学 この横井小楠、肥後の人だが歯に衣着せぬ舌鋒を嫌われて国に容れられず、越前の松平春嶽にスカウトされて日本の近代化のレールを敷き、幕府方薩長方を問わず、当時の有為の人物の誰もが師と仰いだ。西郷までが小楠には一目おいている。学統としては陽明学だが、しかしこの人、ただの学究の徒ではない。越前でまず着手したのは財政再建。九十万両の負債を、産業振興(生糸と醤油の生産と海外輸出)で3年後には三百万両の収益をあげてみごとに立て直している。小楠は「実学」と呼んでいるが、近江聖人中江藤樹の陽明学を幕末の動乱に使いこなしたのが小楠流陽明学、つまり「実学」。
当時の小楠に「国是三論」がある。財政、軍備、士道の三つだが、これを論語の「無信不立」(信なくは立たず) に対比させてみると面白い。論語の「食」が小楠の「財政」、「兵」が「軍備」、「信」が小楠の「士道」。また論語が「信」を第一としているのに対して小楠は「士道」を三論の要(かなめ)としている。
士道が立たなければ財政も軍備も崩れる。すなわちモラルハザード。いまの日本の財政崩壊の予見。小楠の辞書には「想定外」の三字はない。
小楠の場合、士道とは「民を安んずる」こと。逆に言えば、無辜の民を安んずれば士道は自ずから立つ。「士」とは恥を知り民を安んずる者たち。教育者とは「士」を育てうる者たち。昔も今も。
小楠とは教師。表舞台でなく国政の裏手に身を置いて勤皇・佐幕の別なく「士」を育てた。その説得力の源泉とは何?「無私」? そうではなかろう。視野の広さと千里先を見通せる眼。小楠は日本の近代化のレールを敷き終わって刺客の手に斃れた。役目を終えたら世を去った。天命ときに非情。  2012・5・15
※近刊案内『武士道と武道(英文)』――日本人の条件 

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行動文化 (110)  武術 

話が混乱するから、現代武道ではなく古武術の事だと思ってもらいたい。
現代人には見えにくい部分だが、武術とは本来、ルールのない殺し合いである。空中戦で40機?を落としたという撃墜王、大空のサムライ坂田さんは、空中戦とは武士道も何もないただの腹黒い殺し合いだと語っていたが、そんなものだろう。武術とは本来強い者が勝ち弱い者が負ける非情な殺し合いである。
筆者は合気道だが、稽古場で女性会員に「そんなことしたら危ないじゃないですか」といわれてビックリしたことがある。片手をとらせて、前へ引いたら抵抗したので後ろへ落としたところ相手は尻もちをついて曰く、「ひどい仕打ち」。大学の教授夫人。このときもビックリした。
なるほど、武術を長年やっていると人間わるくなる。武芸者根性と呼ばれるものだが、しかし合気道にかぎらず武道とは多かれ少なかれ詐術。相手の敵意をバネに使って勝つ。人が悪くもしたたかにもなるだろう。

新撰組の隊士たちのやり口とは、その大半が不意打ち、だまし討ち、一人を数人で斬るといった類のもので、いわゆる尋常の勝負ではなかったようだ。
阪本龍馬が斬られたのはその中ではまともな方だが、これだって龍馬の居室へ入るのに刺客が使った手は一種の偽計だったようだ。龍馬が拳銃を持っていることを刺客が知っていたかどうかは不明だが、結果からみると龍馬には拳銃を構えるヒマがあったとは思えない。
武術とは結局「間合い」の勝負である。相手の間合いへどうやって入るか。
合気道に、秘伝と呼んでよい「天の浮橋」の心得がある。

開祖の植芝盛平は「戦って勝つのではない。まず勝ってから戦うのじゃ」と言った人だが、これは必ず勝てるという状況の作り方である。この部分にスポーツになっている現代武道と古武術との考え方の違いがある。
「天の浮橋」とは植芝初代が晩年に到達した言霊学の秘境だが、要するに武術の鉄則である「先手必勝」を極点まできわめた間合いの心得と思えばよい。この位置にいれば相手には反撃の余地はない。つまりこっちが必ず勝つ。
筆者は開祖に口伝の形で「天の浮橋」を伝えられた。間合いの心得だった。
現代のビジネスにこれを活用するとどんな形になるか?
企業戦略で言えば、戦いとは「勝てる体勢をつくる」ということ。勝負はおのずから決まる。さらにもう一歩踏み込んでいえばインサイダー取引がそれだといえは話はいちばん解りやすいが、法網をかいくぐる事が最終的な勝利をもたらすかどうか。

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