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行動文化 (109)  文献学者 

オリジナルな研究ではなく、古典などの他人の研究の成果を寄せ集めつなぎ合わせたものを自分の名で発表する人間を「文献学者」と呼ぶ。
筆者の周辺にもたくさんいる。その一人に著名な禅学者がいた。仲間を集めて機関誌を出していて筆者も「原稿料は出ないが、何か書け」といわれて、しばらく書いたが、校正のために送ってくる下刷りをみるとミスプリントだらけで、赤インクで修正すると全ページ真っ赤になる。
編集をしている先輩に訊いてみると、手書きの原稿をワープロで打ち直す作業は、小遣いも与えていない無料奉仕の高校の女学生だった。参考までに発行部数を訊いてみると、それを中心人物に訊いたところ、「君は言われた事だけをやってりゃいい」と突っぱねられたという。驚いて印刷製本を頼んでいる東北の印刷所へ支払っている料金を訊いてみた。無料奉仕ではなかったが、紙代も印刷製本の料金も、終戦当時のままに約二十年間据え置かれていた。どうやら「我々の仕事に参加できているのは意義のあることだから」といわれて言い返すこともできず、言われた通りに引き受けさせられていたようだ。
もうかなり日がたつ。本稿には中心人物の実名を出そうかと思ったが、以前本人に近い人に頼まれたことがあって。思いとどまった。

この機関誌の執筆者たちはみな社会的な地位も身分もある錚々たるメンバーである。その中では筆者は駆け出しの若造、いわば登竜門へのチャンスとして書かせてもらっている立場、執筆を降りるのが精一杯だった。当時の中枢にいた一人へそのことを告げると、「これは小さくても禅三派の専門誌、研究発表の場としては使える、執筆中止は思いとどまらないか」という返事だった。
この先輩はいま都内の文系の某大学の学長に納まっているが、当時の中心人物はじつに要領のいい人で、これまでずっと借家住まいだが家賃を負担したことがない。その情報網は完璧で、近いうちにどこの寺の離れが空くというような話はすぐ入ってくる仕掛けになっていた。
筆者にも青年時代、北鎌倉の円覚寺居士林を関東での足場代わりに使っていた時期がある。とても威張れたものではないが、最近は禅の世界がじつに問題の多い、言ってみれば世俗以上に俗な、それでいてエリート意識だけはつよい世界だという事がよくわかる。
額に汗して働いて身内を護り仲間たちを護る、人間これを忘れたらダメだ。禅はいまや禅寺にはない。禅を学びたいならまず『臨済録』の原典を自分の眼で読むことだ。この中に「無位の真人」について説いているところがある。この「無位の真人」が自分だと見当がついたら一人前の禅者だ。
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行動文化 (108)  吉本隆明 

詩人・評論家。「反逆する若者たち」と呼ばれた全共闘世代(1960年代)のカリスマ的存在で、吉本の本を大事そうに抱えて歩くのが当時の男女学生間の流行だった。筆者はこの少し前の全学連時代のはしりだが、いわゆるノンポリで武道以外のことには興味はなかった。
吉本隆明は当時、既成左翼を批判する理論的指導者として知られていたが、宮本顕治などの戦時中の「非転向」を、現実を無視して「理論」へ逃げた転向の一つとして非転向とは認めなかった。
これはまあよい。それなりに筋は通っている。だがオウム真理教の麻原を、ヨーガを中心とした原始仏教修行の実践者として評価したのも吉本隆明である。
親鸞の「悪人正機」の主張には、わざとでも悪い事をした方が浄土へ行けるのではないかという造悪論を否定できぬ要素があり、オウム事件はこの造悪論の中に入る、親鸞あるいは仏教の教義の中にはもともと危険な要素があり、麻原は現存する仏教系の指導者の中で世界有数の人ではないかという。
中沢新一(もと東大教授 人類学) もこんな吉本を、思い込みを理論で体系づけて現実が見えなくなっている戦後知識人を正確に診断し、自分で掘ったその墓穴からの脱出法を示したお医者さんだと主張する。
だが、フェリック・ガタリ(フランスの思想家 精神分析学者)は吉本を、「日本の思想や体験をなめてかかっているだけで、実は何も判ってはいない根っからのバカだという。

論理のアクロバット
いずれの側につくかは諸兄姉のご自由だが、筆者はガタリの方が吉本をまっすぐ見ていると思う。
親鸞の、「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」の「悪人正機」とは、自分を「おれは善人だから必ず極楽へ行ける」と思いこんでいるようなウヌボレのきつい人間こそが地獄行きは免れないぞという主張であって、吉本が言うような、「わざとでも悪い事をする」ことが極楽行きの条件というような言い方とは、人一倍なめらかに動く舌や、ツルハシよりも軽いペン先でこねあげた論理のアクロバットにすぎない。
吉本隆明とは疑似インテリの虚構をあばき、もの言わぬ民衆の側につく男ではなかったのか? 
多作の男だった。「吉本が書いた本だ。面白くないはずがない」と先輩に書評を書かせる吉本とは結局、俗受けだけが目的の売文業者。なるほど「面白く」はあるだろうが、いわばそれだけのもの。筆者、吉本の叛骨のために惜しむ。

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行動文化(107) クロード・レビストロース 

あまり知られている人ではない。朝日紙(09・11・7) は上野千鶴子(東大教授 社会学) の、「合理的でないとされた未開社会などの現象を、目の覚めるような明晰さで分析した」という評価を紹介している。経験知によるのでなく、広い視野で人間の営みをとらえ、人間の主体性や感情に対しては批判的な視点を持つ研究者という見方。
 レビストロースの言葉で「おっ!」と思ったのは、『悲しき熱帯』の中の、「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」という言葉である。
 人間から始まる西側の世界観に正面から激突する破壊力に「お!」と思ったわけだが、人間の主体性も場合によっては周知のように自然破壊へ向かう。
 主体性に疑問符をつける事には異論はない。しかし主体性や感情を否定した後に残るのは何なのか?

 仏教の唯識論の視点からは、世界とは我々のイマジネーションである。賀茂真淵、本居宣長の復古神道の立場からも「人」とは神の直系の子孫。決して人間を、つまり主体性を否定してはいないが、しかし西側の人間論とはちがって、日本人の場合はそこに天・地・人の重層構造がある。筆者はこれを「垂直思考」と名付けた。
レビストロースの、「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」という言葉は、西側の水平思考でも東側の垂直思考でもなく、「人」をまるごと否定してしまう。破壊力はすさまじいが、その破壊力は「つつしみ」や「謙虚」に似て結局、「人」だけではなく「思惟(イマジネーション)」まで破壊してしまわないか? 構造的にも原理的にも「人」とは小宇宙。つまり自然。そこに「自分」というものがあるとすれば「感性」とイマジネーションしかない。
考えてみれば、レビストロースとは「世界は人間とは無関係におわるだろう」と言ってのける人である。もともと彼は現代の思想的な行き詰まりを打開する意見などもってはいない。多摩美大芸術人類学研究所長(もと東大教授)の中沢新一氏は、クロード・レビストロースをゲーテの系譜の賢者と評価するが、「未開人」に光を当てながら「直感」や「感情」を否定する姿勢は理解に苦しむ。

思うに、レビストロースがフィールドワークで接触した「未開人」の感性とは、我々日本人の「オテントサマ」、すなわち「天意」への全託と同質のものではないのか? それがレビストロースには見えなかったのではないか?
免疫機能も、直心影流剣術の「直心」も、個人の身心に組み込まれた「天意」である。異論もあることだろうが、他人はともあれ筆者はそう思う。

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行動文化 (106) 阿部先輩のこと 

太平洋作戦では潜水艦に乗っていた、阿部さんという先輩がいた。
主としてフランスに合気道のタネをまいた、合気会の功労者。細身でシャープな感じで、気性のはげしい人だった。
あるとき、やくざの親分が女の弱みにつけこんだとかでこの先輩、許さなかった。たぶんフェミニストだったのだろう。その親分のところへ一人で乗り込んで、「お前らの親玉のところへ案内せい」。応接間の、椅子へかけている親玉をいきなり椅子ごと目よりも高く担ぎあげて、「どうだ、投げ殺すぞ!」
この親分、投げ殺されずに合気道本部の植芝の若先生のところへ謝罪にやってきていわく、「いやあ、あんなこわい人に出会ったのは初めてです」。
思い出した。この先輩、合気道開祖の植芝盛平を訪ねてきていた空手家と、何事かで話がこじれて、「やってみよう」となった。
空手家が中段を突いてくるのを「入り身」に外して、例によって担ぎ上げた。それも柔道の肩車式にでなく、両手で空中へさし上げるのである。阿部先輩、よく人を担ぎ上げる人ではある。空手家が頭の上で、「いまの突きは入った!」「入ってません!」

この阿部先輩、一回りほども年の違う若造の筆者を銀座で飲ませてくれたことがある。
筆者、この厚遇の理由がよく解らなかった。で、訊いてみたら、はじめて本部道場へ行ったときのことを、よく覚えていてくれた。柔道に行き詰まっていて、武道仲間の勧めで様子を見に行ったのである。
あのころ筆者は、久留米がすりに小倉の袴、朴齒の高下駄という恰好。目立ったのは確かだろうが、阿部さんはその事を言ったのではない。
思い出せばあの時、まず上座を確認して、居住まいを正し、作法通りの坐礼をした。阿部先輩これを見ていて、「武士の作法に適っていた」というのである。
銀座ではフランスでの話をいろいろしてくれたが、その中に柔道家との勝負があった。一瞬で阿部さんが勝ったという。どんな勝負だったのか訊いたら、「いやあ訊かんで下さい、卑怯な手をつかいました。」他人の話などを総合して見えてきたのは、「卑怯な手」というには当たらない、備えのないところへ入っただけのことである。
大陸で何人も人を斬ったという、村重さんという人がいた。ゆっくりと重くつかう人で、意外に思って「そんな速さですか?」「そう、こんなものだ。真剣を使う場では、さわぐな」これが秘訣のようだった。ベルギーで客死したが、ギャングに襲われたようだ。筆者はこの人に人の斬り方を教えてもらった。

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