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行動文化(105) 敵を愛せよ 

「汝の敵を愛せよ」、キリストの言葉だというが、信憑性はうすい。
調べてみるまでもない。キリストはこんなことは言わない。偽善が匂う。
小学校の先生方は子供たちへ、「誰とでも仲良くしないといけませんよ」というが、これはまあ「無用のゴタゴタをおこさないように」ということ。
しかし「敵を愛せよ」の方はこれとはちがう。小学校の先生なら、子供たちがケンカをはじめたら仲裁に入って仲直りをさせる。「敵を愛せよ」の方は、子供へではなく大人へのお説教である。
キリストの方には、売春婦へ石を投げている者たち(そんな事をした時代があったらしい) へ対する「汝らの中で、罪を犯していない者だけが石を投げよ」があるが、これはたぶん実話。
敵を愛することなど人にはできないし、する必要もない。大きくなればよい。同じことだ。考えてみればわかる。わが子を殺した相手を愛せるものかどうか。
筆者のこんな意見に対して、それは極論だという声がある。
極論ねえ。例外だらけの断定はない。発言には責任がともなう。「汝の敵を愛せよ」は軽い。「罪なき者のみ石を投げよ」とは不均衡。

ライバル意識
師弟関係にもどうかするとこれがある。
合気道の先輩の一人に気さくで話の面白い人がいて、この人を中心にピラミッド構造ができていた。
はじめはうまくいったが、やがて隙間ができた。原因はペンだった。
この先輩、後輩がペンをもつ事を喜ばなかった。本人に聞いた話だが、お兄さんに「おまえは筆一本で食える男だ」と言われたことがあって、これがよほどうれしかったらしい。筆者のほかにも何人か本を出した者がいて、みんなイヤミをいわれた。
お兄さんの眼は確かだったと思う。失敬ないい方だがこの先輩、たしかに文才はあった。要するに狭量なのである。將器ではない。
男女にかかわりなく後輩はだんだん育ってゆく。いつまでも大学生ではない。 ましてペンをとることがいわゆる「出世」なのかどうか。執筆とは世間におのれをさらす事なのであって、けっして気の利いた仕事ではない。まして最近は本が売れない。むろん人気作家は創作文藝の世界には何人かいるが、筆者は話藝で仕事をする物書きではない。何にでも文句をつける「文句屋」である。味方よりも敵の方が多い。筆者がペンをとることを喜ばなかった先輩の気持ちが、まだわからない。
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行動文化(104) 初年兵の分際で 

これは柔道の特練に入る前の、横浜の警察学校にいたころの話。
分隊編成で、12人が同室にいた。
夜中の二時ごろだったか、廊下にどかどかと足音がして、ガラリと引き戸があいた。びっくりして起きると、面と籠手だけをはずして胴だけを着けた剣道の稽古着姿の数人が優勝旗らしいものを中心に立っていて、「寝てる場合か。この優勝旗を拝め。貴様ら初年兵の分際で――」なんとかと怒鳴っている。
関東管区の警察武道の大会で優勝して帰ってきたのだ、寝てる場合か、起きてこの優勝旗を拝めというわけだ。
拝みようもないから12人、茫然と見ていただけだが、それでも「初年兵」どもを叩き起こして吠えればそれで気が済んだらしく、優勝旗を押し立てて隣の初年兵たちの部屋の入り口で怒鳴っていた。迷惑とは思わなかったが、大声でひとしきり吠えながら稚気満々、圧倒はされた。
高野さん、だったと思う。
荒稽古で知られる拓大の剣道で鍛えた人で、柔道の先輩である郷里の朝飛さんによればこの高野さん、事あるごとに「拓大はなあ」と吠えていたという。  
いまの拓大の剣道がとんなものかは小生不敏にして知らないが、たぶんこの時期あたりまでだったと思う。柔道も剣道も稽古は荒っぽかった。気絶しても頭から水を浴びせて正気にもどした。

最近は事故がおきるとすぐ救急車を呼ぶ。
のちに高野さんから聞いたが、「おい高野、きさま剣道はダメだ。見込みがない。あきらめて、行李を担いで田舎へ帰れ。帰って百姓しろ。その方が似合ってる」。
高野、ではなく別姓(失念)で、高野(幕末の剣客である高野佐三郎の家系?)家へ養子に入ってからの「高野」、だったように記憶するが、高野佐三郎は突きの名手、たしか親の仇討ちのために山岡鉄舟の春風館道場に入門した人。
鉄舟の突きも凄かったようだが高野佐三郎の突きは春風館で鍛えた鉄舟直伝の突き、「貴様ら初年兵の分際で」の高野先輩の突きも、だから春風館仕込みの突きということになる。筆者は時代がちがうから高野佐三郎流の突き技は教えてもらっていない。筆者の小手打ちは既述のように「ズビチガスデグネガ」の槇尾の小手技を盗んだものだが、この槇尾を鍛えた「鬼伝」は高野佐三郎の直門。小手打ちは突きと一組。表を突きで攻めて裏から小手を打つ。突きに威力がないと小手打ちも決まらない。だから筆者の突きも、辛うじてだが突きの高野佐三郎につながっていると言えなくはない。

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行動文化(103) 警察特錬武道の記憶 

柔道剣道の猛者たち 神奈川県警の武道の特練にいたころ、剣道に東北弁でもとくに聴きとりづらい南部なまりの、槇尾という男がいた。机を並べていて、「おい、ズビチガスデグネガ」。??――「字引貸してくんねえか」だった。
小手が上手だった。巻き小手ではなく表からの抜き小手だったが、しばらくは外せず、まともに打たれると籠手をつけていても手がしびれた。もっとも筆者は剣道ではなく柔道の方だったが、どっちかといえば剣道の方が好きで、監督の眼を盗んではときどき剣道の稽古をした。筆者の小手打ちはこの「ズビチガスデグネガ」の槇尾からもらった小手である。
監督はシナ事変で日本刀を使ったことのある菊池伝。「鬼伝」と呼ばれていた。この人は筆者の剣道の越境稽古を大目に見てくれていたが、稽古ぶりは今でも目に浮かぶ。最後は、「では上段から一本。」左上段からの片手での小手打ちは強烈で、受ける側も一騎当千の手利きだったが、くるとわかっていて外せず、「ポクッ!」と快音を発して小手がきまった。抜き小手の槇尾、神奈川県警を背負って立つ逸材とみられていて、鬼伝に稽古で容赦なくしごかれ、血尿を出しながらがんばっていた。

柔道には北海道から来ている諏訪間というのがいた。小柄だが、諏訪間の諸手背負いは引きが強くて、こっちの膝のあたりに腰が入ってくる。まともにきまると畳で額を擦った。
体が要求したのだろう。甘い物が好きでよくゆで小豆を食っていたが、惜しいことに体をこわして街の駐在所の旦那で終わったようだ。
柔道にも剣道にも強いのはいくらでもいるが、試合に明け暮れる毎日で、えらそうなことを言ってもはじまらない。みんなバカ話でとぼけていたが、特練武道のメンバーはみんなライバル。野球と同じく情け無用の街。筆者、体をこわして特練柔道を出てから関東管区の大会の応援に出かけて、かつての仲間たちから妙な目で見られた。

いま合気道の宮崎県を預かっているが、少なくともここにいるのは師を中心に集まっている仲間たちである。
だが、よくしたもので他流派の者同士でも気の通う、仲間と呼べる者たちはいる。流派を問わず、強いのはいくらでもいる。お互い、他流の批判はやめようではないか。違いをいうのなら武道の世界とは一人一派。同じ小手打ちでも千差万別。いま我々に求められているのは、武道場での成績ではなく、「知」の戦力化のはずだ。

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行動文化(102) 植芝盛平 

日本武道館ができる前の、日比谷ホールでの合気道の演武会の時だったと思う。演武会が終わって帰途についたとき、道友の菅野(逝去)が合気道の二代目に、「先生、これから別行動をとらせて下さい。」みると菅野の顔色が変わっている。
「別行動? どうするんだ?」 答えない。問い詰めると、演武を見に来ていた鹿島神流の国井が、「合気道の連中はフマジメだと言いました、許せません、これから国井を殴ってきます」
二代目はこれを制した。筆者はあとで二代目から聞いて筆者なりに興味をもった。二代目としては制止して当然。菅野は元気者だが、当代随一との評もある鹿島神流の国井善哉を殴れるものかどうか――結局この勝負実現しなかったのだが、惜しい事をしたという思いもないではない。

師の植芝盛平の実力については、批判意見もある。筆者自身も身近にいて師の言葉のどれが真実でどれが無邪気なウソなのか、はじめは見抜けなかった。鉄道のレールをひとりで担ぎあげたとか、直系20センチもある孟宗竹を脇の下でベリッ!と潰したなどという話は明らかにウソ。「ワシの頭は真剣で斬っても斬れんのじゃ」も子供だましのウソにきまっている。
どういうのだろう、あれ。稽古のあとシャワーを浴びて浴室を出ると、奥から師がトコトコとやってくる。あ!と、一歩さがって道をゆずると、それまでトコトコと歩いていたのが急に反り返ってエラそうな歩き方に変えた。なにも急にイバルことはないだろうに、合気道の植芝盛平とは、まあそんな人。
武芸者としての実力はむろんあった。鹿島神流の国井善哉と立ち合ったらどんな勝負になるか、人によって見方はさまざまだが――筆者としては植芝盛平が発散する「神気」を買う。むろん国井善哉は本物。それにくらべて植芝盛平の方はどれがホントでどれがウソなのか見えにくいところがある。

茨城の岩間へ帰郷のあいさつに行ったとき、天下の達人植芝盛平がおでこに擦り傷をつくっている。「その傷、どうなさったのですか?」「なに、風呂の焚口へ足を踏み外してな、エイッ!と気合いをかけて宙返りをしたのじゃが、壁との間合いが近くて」他人には聞かせられない話だ。
このとき師は居合との真剣勝負の話をしてくれた。今となっては宝物。
「何か一手、最後のご教授を」師は気軽に引き受けて、立て。「正面の入り身」を教えてくれた。合気会では入門の時に教える「一教腕おさえ」。入門技であると同時に極意の技。「これを三千人にかけて研げ」。「武道で立つつもりであろうが、気の線は三千本用意しておけ」。往時の武者修行とはこんなものである

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行動文化(101) 師 

中学生のころ、「尊敬する人物を一人挙げよ」という課題があった。何人か考えたが、「剣と禅の達人山岡鉄舟」が頭に浮かんだ。のちに東洋大学の中哲を中退して大森曹玄の鉄舟会へ入会するわけだが、それとは別に、中学生のころ中里介山の長編小説『大菩薩峠』を読んでいた。
 この『大菩薩峠』に、島田虎之助が槍の高橋泥舟とまちがわれて、土方歳三ひきいる新撰組の浪士の襲撃を受ける場面がある。
 島田虎之助は駕籠の後方に背をもたせて駕籠わきからの突きにそなえ、突かれると同時に躍り出て刺客を斬り捨てる。そこへ自分とまちがわれて島田虎之助が襲われたと知って泥舟が駈けつける。すぐ斬り込もうとするのを同行の人物が、「ひとに斬られる島田ではない。さしい出ては邪魔になる。これにて見物さっしやい。」なるほどと泥舟は見物。
 目の前の島田は何人かを斃したあと、正面から打ちこんでくるのを鍔元で受けて鍔ぜりあいの形。そこへ後方の一人が拝み打ち。このとき泥舟がはじめてヒヤリとしたが、その瞬間、正面の鍔ぜりあいの相手の剣は鍔元から折れて飛び、後方から拝みうちに来た敵は、身を退きざまに横へ払った島田の太刀に上体と下半身の二つに切り離されていた。のちのちまで泥舟が虎之助の太刀さばきを、「あれば禅だ。剣ではない。」と歎称したという話。

 禅について少し。
筆者の禅は臨済派の隠山系である。「公案」と呼ぶ課題を与えられて私見を師に点検してもらう。「犬ッコロに仏心があるか?」という問いに趙州和尚が「無」と答えた、「無」とは何か? が設問。筆者はなんとか透過したが、このあとに難問中の難問、雲門の一字関が控えている。
 透過してみればただ修行者をひっかけるだけが目的の屁のような設問で、要するに「無」の再確認にすぎないのだが、坐禅について思う事は、坐禅とはガマン会ではない。ピントのずれた坐禅よりもひるねでもしていたほうがまし。筆者もあまり坐禅はしていない。
 奥日向に移って一冊目の本を師へ献上した。師はこれを手にとってウン、ウンと何度もうなづいて、何を思ったか押入れの奥へしまいこんだと奥方から聞いた。最後に師を訪ねた時は奥方の手引きでの面会だったが、対坐している筆者が誰なのかもう判らなかった。別れる時は門の外で遠くまで見送ってくれた。合掌すると師も合掌を返した。筆者の関東時代とはこんなものである。
結局、筆者は師恩に酬いていない。師は筆者のはじめての本を、押入れの奥深くしまいこんでくれた。もう師はいない。ああ

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