03 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. // 05

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | 本文: --

行動文化 92 国際武道大学 

武道との関係は?
国際武道大学とは東海大の兄弟校とみてよい大学だが、ここの教育方針に、営業人の実力を育成する「営業ロールプレイング」というものがある
アポとり、訪問、商品説明、トップとの応対といった類の実務を演劇仕立てで学ばせるものだが――どうもよくわからん 学名に「武道」と冠するからには何らかの形でこの講座も武道に関係があるのだろうが、武道とは直接の関係はなくても学校経営の一環として用意されている講座なのかとも思う 訊いてみるのが早い 問い合わせてみた 
担当部署から返ってきた返事は、思った通り社会人として校門を出て行く学生たちのために用意されている一種の社会学の講座で、武道とは直接の関係はありませんというもの
惜しい 現代はすでに刀や槍の時代ではない 
現代の実戦とは火力戦、それも国家外交、身近には営業、つまり商売である こ
の営業ロールプレイング講座は是非とも武道の講座にも組み込んでもらいたいものだが、しかし今回の武道大学との電話には一つの進展があった
 全国の中学校の「必修武道」の動きでは、「武道精神」とか「武士道」とか「伝統文化」をなんの具体性もなく教育現場へ持ち込もうとしている そのプロモーターの位置に武道大学があると思い込んでいた 武道大よ、お前もかというわけだが、これが嬉しい誤算に終わるかもしれない 
じつはこの「お前もか」の予測には伏線があった 次のようなものだ
 小生の剣(直心影)の師である大森曹玄の少年時代(幼名「一声」)、京都の武専(武道専門学校)で剣を学びたかった 
師事していた頭山満(玄洋社)に希望を述べたところ、黙して語らず、頭山は首をタテに振らなかった 不承知、の意思表示である 「あんな所へ入るとバカになって帰ってくる」と思っていたらしい
 言いにくいが小生、この延長で武道大学をみていた
 はっきり言って東海大の武道教育は支持できない 理由は卒業生をみればわ
かる 「トレーナーを着たゴリラ」を量産している 武道大学にはこの轍を踏
ませたくない 

望みなきにあらず 今期から国際武道大学に石井氏が就任される 
武道の「心術」を説いた小生の「武道行動学」(『武道の礼儀作法』に収録) と、欧州向けに準備中の『武道と武士道』の中へ日本武道の「心術」の部分を織り込んでおいた お役に立てるのではないかと思う ▲▲ 
スポンサーサイト

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

[edit]

号外 武道の「言語化」 

エンプティネスミニスタ  中曽根総理のころ国会に、「ミッチー」のニックネームで知られる渡辺美智雄という閣僚がいた。当意即妙な云いまわしをする人で、中でも野党の選挙用の公約を魚を釣り上げるだけが目的の毛針に例えた「毛針発言」など、ちょっと余人にはマネできない絶妙の比喩というべきだろう。もっとも親分の中曽根総理にも「政治家に倫理を求めるのは八百屋に魚を買いに行くようなものだ」という野党へ「北陸じゃあ八百屋でもサバの干物を売ってるよ」と応じて喝采を受けるようなしたたかなところがあったが、大平正芳氏など渡辺ミッチーを、「こんなこみいった問題を、彼はどうしてあんなにうまく即妙な簡単な言葉に直せるのかなあ」と感心しきりだった。しかし、ミッチーには失敗例も多い。
外相の時だったと思う、東南アジア――だったかで、日本文化を紹介するつもりで般若心経の「色即是空」を――まったく、よく知らないのなら持ち出さなけりゃいい、「カラ―・イズ・スカイ スカイ・イズ・カラ― とやらかした。
聞いてる者はみんなキョトンとしていたという。そりゃあそうだろうよ。
あの一件で彼すっかり器量をさげたが、しかしこんな事でメゲていては政治家はつとまらない。「あれはまずかったですよ、空、にはカラ―じゃなくエンプティネスのほうがいい」と教えた若手がいたが、これをしばらくしてやってきた、「鉄の女」と呼ばれるイギリスのサッチャー女史へすぐ使って、またひと騒ぎあった。「あれは間違い、ほんとはエンプティネス」と訂正したから、鉄の女、以後ミッチーと出会うと親しみをこめて、「オ―、エンプティネスミニスタ」。そばにいたのがこれをその場で「空っぽ大臣」と、これがまた妙に説得力のある翻訳だったと新聞は報じていた。

 武道の言語化と行動化  時代がこれを要求している。孫子のいう、「彼を知り我を知れば百戦不殆」の「彼を知る」とは、武道でいえば現代という時代を知ること。「我を知る」とは、時代に対する自分のピンボケに気付くこと。
武道の言語化とは、「武道の本質は危険に対する感度」と言語化し、「時代が求める即戦力とは戦力化された知」と言語化すること。
行動化とは、たとえば「視野」、「情報処理」、「間合い」、「居着き」などの武道の心得を、小学校から大学まで「危険学」としての武道の講座を用意して、少子時代の受講者を集め、「これが現代の日本武道」と世界へ発信すること。
『孫子』は春秋時代の戦略家である。彼の言葉とは戦闘の言語化なのだが、けっして骨董品にはならない。骨董品になっているのは現代の日本武道。脳ミソまで筋肉化した武道人は「トレーナーを着たゴリラ」と言語化されている。 

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

[edit]

行動文化91 それがどうした 

小生、日向の国は高鍋の、長谷村の産である いつどこで誰が言ったのか、わが日向は「文化果つるの国」だそうだが、それがどうした 
日向は昔も今も貧しい国である 農業のほかにはこれといった産業がない サルとヒトとが半々にすんでいると書かれたことがある
安い物しか買えないから芸術は育たない 仕事もない 有為の青年たちはみんな外へ出る 残っているのは青い空と海
わずかに残っている男たちが、車座でイモ焼酎をあおりながら、
「どうしてわが日向には手ごたえのある男がおらんのか」
答えていわく、
「神武天皇の東征が原因じゃ 屈強な男は神武さんがぼーど連れちはっちきゃった」
「そりゃあ大昔んこっちゃがよ 西郷いっさ(西南の役) が祟っちょっとよ 田原坂かりゃ一人も戻っちゃこざった」
なるほどと思っていると、
「ちがうちがう 神武さんでん西郷さあでんなか 太平洋戦よ いま残っちょっとはみーんなイモガラボクト(みかけだおし)、グワンタレ(くず)ばっかりじゃ」
クズはおだやかではないがこの意見、当たっていなくもない 
かなり前の事だがNHK宮崎の女性だけの文化講座に出講したことがある ここで先ほどの宮崎には男らしい男がいないという話を持ち出した すると打てば響くように若い美人が挙手、発言を求めた 「どうぞ」 「わたくし、全く同感でございます 宮崎では結婚したいような男性には出合えません わたくし生涯独り身で通しますっ!」
小生かつて「宮崎型不作法の構造」というコラムを地元紙へ書かせてもらったが、日向人はこの種の直言をよろこばない 地元への悪口と受け取られ一年間がやっとだった しかし中には「よくぞ書いてくれた」と手を叩いた連中もいた 今もあれを覚えていて、「おまえ、なし(どうして)途中でやめたか!」続きを書けとけしかける 地元の放送局にも勝手に小生の出演をきめて、日程まで言ってきた局がある ラジオなら受けたかもしれないが小生、テレビはどうも苦手 せっかくだが――本題へもどろう
宮崎には「人」がいない? 陸の孤島? それがどうした
文化? ファッション? コンサート? なにをいうちょるか 
そんなものがないことこそが日向の売りもの 小生は日向の風土を愛でる者である 悪口など書くもんか こんな宮崎がおイヤなら皆さん東京かパリへどうぞ 小生、誰もいない日向の大地に素っ裸でヘソをおてんとさまへ向けて昼寝ができる ▲▲

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

[edit]

号外 理事長 

正名論 子路が孔子に、いま一国の政治を任されたとしたら、先生はどんな仕事から始めますか? これに、「名を正すことだな」と孔子が答える。論語に出てくる話だが、これが儒教の「正名論と呼ばれるものである。
 「名」を正さないと筋目ケジメが通らず、職分が混乱する。論語ではこの後に子路が、「こーれだからなあうちの先生は、なんだってまた名なんかにそんなにこだわるんスか」と小馬鹿にしたような云い方をするのへ、「このガサツ者め、知らんのなら教えてやるから黙って聞け」と、呼称の乱れを放置することが政治の混乱をまねく理由を諄々と解りやすく説く。
 
人とサルとの違いとは毛の数ではない。言葉を使えるかどうかである。君子と下郎の違いは、このことを自覚しているかどうかである。言葉らしきものを使ってはいても、人に近いかサルに近いかは、言葉の意味内容がちゃんとわかって使っているかどうかできまる。
最近はなくなったが、以前「理事長さんはいますか」とか「会長さんいますか」という電話がしきりにかかってきた時期があった。いずれどこかの営業マンだろうが、受話器をとるとそんなことをいうから、ヘソマガリでリクツ屋の筆者が穏やかに応対するはずがない。「おれは電話番だが、うちの会長とサシで話をしようというアンタは、いったい会長とはどんな関係だ?」。みんなこれで白けてひっこんだ。理事長や会長の相場も下落したものだ。

「理事」とは事務職。理事長とは事務職の元締め。会長とは会の頭である。会
長は基本方針を定め、事がおきた時の最終責任は会長が負う。会の運営事務は理事長や理事にまかせ、理事はデスクワークには書記を使う。組織が小さい時はトップも雑用をこなすが、理事長や理事に一任すべき事まで気軽に引き受けたら若手は育たない。それは「気軽」なのではなくて「軽卒」なのである。
組織の頂点にいる者が「書記長」を名のることはある。「平等」を掲げる共産党などがこれだが、これは一種の「謙譲」であって、禅寺の住職が同様の動機から「火番」を名のることが伝統として今も生きている。ゆかしい伝統である。
これにくらべて昨今の日本の政府はおかしい。選良たちの仕事場とは思えない言葉の乱れが放置されている。たとえば「国家戦略室」。戦略、は穏当を欠く。ほかに云い方がありそうなもの。これじゃまるっきりケンカ腰だ。
「骨太の方針」? それをいうなら「基本方針」だろう。骨太とは、緻密だが線の細い華奢(キャシャ)なものとは反対の、ゴツイものの形容である。骨太の方針では「民意を無視した厚かましく図々しい方針」。いままずいんじゃねえの。

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

[edit]

行動文化90 洒脱謙譲 

師弟関係について

いまの子供たちはつくづく不幸だと思う 衣食住には困らないが、人生でいちばん大切な事を学校では教えてもらえない 具体的には姿勢、態度、ことば
戦前は「教育勅語」があり、それを具体化した「修身」という教科があった 
昨今は「道徳」の時間があるが、「やさしさ」、「いたわり」、「思いやり」のほかには具体的な「行動」は教えない
教育勅語に「恭倹おのれを持し」の句がある かいつまんでいえば、「言葉は少なく、丁重に」 すでに「恭倹」は死語だが、しかし「洒脱謙譲」はまだ生きている 若い諸君のために解説しておこう
「洒脱」はスマートでうっとうしくないこと 「謙譲」は立場を弁えて相手の領分に踏み込まないこと これがつまり「恭倹」なのだが、別段どうという事もない、ごくあたりまえの振る舞いにすぎない 
むろん、身についている者もいる 環境に恵まれればごく自然に身に着くのだが、しかし家庭、職場、交友――これがよくないと一生を「下郎」や「婢」(はしため)、つまり「奴婢」(ぬひ)のままで終わる

師弟関係で考えてみようか
現代は「自由平等」の時代 「奴婢」は無論のこといまや師弟関係はないという見方もあるが、しかし「一字の師」という言葉もある 何事にせよ教えてくれた相手にはそれなりの敬意を払うのが最低限度の作法 まして業務を教えてくれた相手はまちがいなく自分には「師」なのだが、だからといって師の前では口もきけないほど緊張してしまうのはよくない 子供ならともあれ成人の態度ではない ではどうするか 
道場とは「道」を学ぶ場である たとえば茶道には点茶(お茶の立て方)のほかにも応対作法で学ぶべきことがたくさん用意されている 武道の稽古場でも大人としての応対の心得が身についていない会員へは段位は出さない
会員たちを均等に見渡して思うのが「氏より育ち」ということ これはしみじみと痛感する 環境が人を育てるのだ 親にその余裕がなかったら適当な環境を与えればよい 本来、学校がその環境のはずだが、カリキュラムの消化が精いっぱいで先生方にも時間的な余裕がない 
武道の町道場は多い むろん指導者にもいろいろいる 匹夫の勇、つまり 人を打ったり投げたりの「奴婢」しか育てていない稽古場もある 「婢」をレディに育てようと思って失敗したことがある 彼女、電話のかけ方も身についていなかった もっともこんな「婢」には「奴」が似合いなのだが―― ▲▲

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

[edit]

行動文化89 嫌われ者 

小林秀雄 

過去の人と思われているが、文人の中でこの人ほど腹の据わった物書きを知らない 鎌倉にいたころ浜通りだったか、店に入っていて、「あ! 小林秀雄!」と隣にいた仲間が言った みると細身の初老の男が歩いている   
あのころの小生、とくに小林さんに興味はなかった
数年経て、凄い人だと思った 
原水禁運動をやっているという青年がやってきて小林さんに拠出金を要請した 小林さんは応じなかった するとこの青年、「先生は原水爆に対してどんなご意見をお持ちなのですか?」ときた 凄いな、と思ったのはこの時の小林さんのあしらい方である
「小僧 おれは意見を売って食ってる人間だよ おれの意見が聴きたいならカネを出せ」
そう応じたと当時の新聞に出た
小林さんは青年を教え諭したのではない 言葉で殴り倒したのである
小生、まっすぐ言って小林さんの仕事には昔も今も興味はない お言葉通り一人の売文業者としか思ってはいない だがこの応対ぶりは今でも凄いと思う  
剣でいえば、これは上段から斬り込んで来る相手を無構え、または下段から斬り上げる太刀筋である この原水禁、まともにくらって返せなかった

伝統と破壊
作っては壊し、作っては壊す 所詮この世は建設と破壊 平成の青年諸君は、新しく作れないならせめて破壊者になれ 
筆者は諸君の知力と血の中のDNAを信ずる 壊して壊せるもの、ブチ壊してしまいたくなるようなものなら壊してしまったほうがいい 好かれるよりもいっそ嫌われ者になれ 少なくとも鬱陶しくはない
安藤忠雄の少年時代はボクシングだった 破壊願望があるのかどうかは知らないがこの建築家、他人に資金を出させて自分が建てたいものを作る 仕事ぶりは安藤流の伝統破壊 既成概念無視 大学で子供たちにしきりにジャブを繰り出すが無反応、一人も食いついてこないとぼやく 
小生、子供のころからずーっと小屋を建てたいと思っている 
ワビやサビはどーでもいい そのへんに転がっているもので作りたい なんでもいい 竹 錆びたトタン板 錆びた針金 車の窓ガラス 捨ててあるものを使いたい 文字でこれをやれないかと考えたが、あらためて考えてみると、古人がもう実践している 狂歌、川柳、どどいつ みんなそうだ あめがしたにあたらしきものなし どうする せめて啖呵でもきって嫌われよう ▲▲

テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

[edit]

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。