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行動文化 (66)  活人剣「無事故」武道 (2) 

君子不器  人とは「知」の生き物です 人とサルとの違いとは、「言葉」が使えるかどうかです 人から「識見」を取り去ったら何が残る? 朝、昼、晩、ただ食っては出し、食っては出しの「飯袋」しか残らない 
武道人にもいろいろいるが、ただ人を投げたり斬ったりすることしか知らず『孫子』も『蔚繚子』も読みこなせないのでは、腰の両刀とはただの「人斬り包丁」、頭は空っぽ 義務教育の現場で子供たちに伝えられるものなど何も持ってはいない、ただのマッチョ 誰もそんな人間に敬意など払わない
最近実際にあったことだが、都内のある中堅どころの企業で会議の後の講演会を企画した ところが、司会者が、「えー今日の講師は武道家の――」と言ったとたん、集まっていた者の大半がゾロゾロと退出した 出版界のある老練な編集者が言っていた 「タイトルに武道の二文字があるだけで本は売れませんよ」 見くびられたものだ 日本武道、ついにここまで落ちたか
この状況、百年前に予測していた大先輩が二人いる 一人は剣道の内藤高治、もう一人は柔道 講道館の嘉納治五郎 内藤高治は明治期の御前試合の企画に、剣道人としてただ一人異を唱えた人物 「剣道の真義に反する」がその主張 だが「天皇のご意思である」の一言で押し切られた 帰宅して、ポツリとつぶやいたという 「これで日本剣道は滅びた」 その胸中やいかに―― 
かたや柔道の嘉納治五郎 講道館柔道を定義づけて、「精力善用自他共栄の道」とした それは武道ではなく経済論だとの批判もある 経済論結構 小生の勝手な推測だが、その胸中には「武士の表芸としての武芸の役割は、もう終わった 世はすでに火力戦と政治力の時代だ」という思いがあったはずだ
柔術の世界には「講道館の足」という言葉が残っている 講道館が他流に怖れられたのは切れ味鋭い小内刈り、大内刈り、大外刈り、送り足払いなどの絶妙な足技だが、記者も高校時代にこの講道館流の足技を学ぶ機会に恵まれた  
古伝そのままの足技の使い手、森 犢(こうし)という大先輩が、郷里秋月藩、日向の高鍋にいた 
柔道は記者の古巣 懐かしい記憶は数えきれない スポーツとしての運用もたしかに一つの立場 否定はしない 小生、ケガで行き詰まった 親愛なる柔道界の後輩諸兄に伝えたい 悪い事は云わぬ 「政治力」を身につけておけ 相手もあろうに、のちには柔道を捨てるヘーシンクなどにむざむざと名を成さしめた 勝ってもともとの勝負なのだ てこずるだけでも日本柔道には傷がつく相手 古人はそんな勝負はしなかったよ 道衣の色分けも、向こうのペースで押し切られたのはやはり敗北 勝負判定の基準も同じ 世界の、ではなく「日本伝講道館柔道」なのだ こっちの領分に土足で踏み込ませるな ▲▲
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