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行動文化 (57)  存在証明 

 ただ生きていては悪いのか?

生きていることの意味や価値、理由、また「証し」といった類のものがみつからないと不安な人たちがいる 何の某という人間がたしかに生きていたと言う証しとして「爪痕」でもを残さないと死んでも死にきれぬ、などと思いつめる ごくろうな事だ


つまりレーゾンデートルというやつが気になる 「自分捜し」もこれだが、しかしこれは本来、日本人の思想ではない なにかにつけて理屈っぽい西側の人間がかかる「哲学神経症」という精神病の一種である


元来、日本人は神ながら言挙げしない、屈託のない民族なのである そもそもこの肉体自体が自分でこしらえたものではない、ここにこうして生きているのはオレの知ったこっちゃない、気がついたらこうなってた、生れようと思って生れたわけじゃねえ、オテントサマのなさることだ――みーんなオテントサマにあずけてしまえ――というふうにもってゆくのが日本人なのだ 


戦前もたしかに「存在証明」は、旧制高校の生徒たちの間では流行したが、やがてそんな問題は議論しなくなった 哲学はオトナの問題じゃなかった 


ところが昨今はこれが中年組や初老組の大問題になっている すなわち一億総幼児化時代 生きていることの「意味」、とか人生の「目的」とかいった類のものにピントを合わせた出版物はニーチェをはじめ、この出版不況の時代にもたくさん出ている 需要のないところに供給はない 「爪痕」組に読ませようというわけだが、ネコじゃあるまいし爪痕なんか残して誰に見せようというのか? なんにも残さない方がさっぱりしていい


 人生に「習作」はない


柄本明という役者がいる 彼の「東京乾電池」という一風変わった劇団名を乾電池の会社と思いこんでいた人がいるが、演技を感じさせないこの柄本にほれ込んで自分もこの劇団に入って芝居をしたい、役者になるにはどんな訓練が必要なのかと問い合わせて、気の毒に「キミはうちには縁がない あきらめろ」とにべもなくつっ放された青年が宮崎にいる 


そういう事なのだ 団体名に「乾電池」を使ったのはおそらく自前のエンジンを意識してのことだろうが柄本は飼い犬ではない 柄本は芸(演技)はしない   


ボブ・ディランという歌い手がいる 彼に触発されて自分の世界をつくったのがヨシダタクロ―だという ほう、と思って聴いてみた ボブの場合は発声も声質も自分のものだが、タクロ―のは演技だ 勝負にはならない 


評論にも「習作」などあり得ない 視点も、文体も、評論はいつも真剣勝負 通じなかったらそれまで 「訓練」を否定し「他人」に媚びぬ柄本は面白い 

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