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行動文化 (60)  老いる、とは 

 青春とはそんなに明るく楽しいものではない 若い絵描きには暗い絵が多い

どうしてそうなのか? 純粋だからである  


世俗慣れしていないから傷つきやすい つまりツラの皮が、薄い 


これが年とともにだんだん厚くなってゆく つまり「厚顔無恥」になる そして厚いだけではなく、鍛えが入り、居直りを覚える たいていの事では動じない これがつまり「鉄面皮」 それが信念なのか自己都合なのかはともあれ、原発で国を滅ぼしかけているのはこんな連中


 だが片方には、こんな経過をたどらない者もいる こっちの方はトシ取るにつれて、だんだんと慎み深く、あんまり人前にしゃしゃり出なくなる つまりおとなしくなってゆく 


ふつう人生とは、そうすいすいと行くものではない そのたびごとに、おのれの無力を思い知らされる おとなしくもなるだろうが、「無力を思い知る」とは、おのれの身勝手さや、いかがわしさ、汚らしさが、だんだんと見えてくるということ 長生きとは生き恥をさらすということ 若い連中の負担になっていることが気になりはじめるということ


 


小生に、伊藤計良という莫逆の友がいた 信州は伊那の産 「真愚」を名乗る漢方医 鎌倉円覚寺居士林以来の剣と禅の友  


「育ちがいい」とは、あんな男をいうのだろう 人を疑うという事を知らぬ善意の男 いつも借金を背負っていた みんな他人のための借金だった 


もういない ――あの野郎、おれより先に死にやがって――いい奴ほどはやく死ぬ ちくしょうめ!


この伊藤真愚 記者が第一作の「生きる極意」を書いた時に、イヤミのようにこれも第一作「さて、死ぬか」を世に出した この伊藤が京大で「庵住期構想」という旗を立てていた ライフワークを終わったら家族と別れ、家を出て、山に小屋を建てて独居して世を終わるというもの だんだんと食を細めていって最終的には絶食という、「死に方」まで考えていた 人生を美術作品に


知人の父親にこれを地で行ったもと軍人がいる 伊藤の場合この夢は実現しなかった 伊藤よ おぬしの夢、おれが受け継いでやろう 


伊藤計良、最期は身内に囲まれて、気に入っていた「スバル」を歌いながら息をひきとった 立派なものだ 記者あまりこの歌は好きではない 歌詞は悪くないがこれを歌っているタニムラとかいう歌い手の発声が気に入らぬ が、伊藤が去り際に歌った歌だから、おれも粗末にはあつかわぬ 大事にしている  

伊藤よ おれもやがてそっちへ行く 待っておれ  
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 行動文化 (59)  一期一会の出会いこそ 

 人とは「香気」―― 李明博とは名香「グレート・コリア」

 


 韓国の知人に聞いた 0712月の韓国の大統領選で李陣営の参謀呉致雨は、イメージ作戦として香水を使おうと思った


 どんなタイプのものがいいか―― 高級感のあるもの――たとえば「№5」といっただけで通るシャネルの5番 ココ・シャネルが調合し、1921年にパリで売り出され、アメリカの名花マリリン・モンローが用いたもの 「夜は何を着て寝るのか」と訊かれたときの返辞には世界の名花それぞれの個性がうかがえて面白いが、モンローは「シャネルの№5」と応じている いいセンスだ


 調香師ココ・シャネルは、「香りとは、その人自身を意味する」と語っているつまりマリリン・モンローとは例のモンローウォークと、シャネルの№5なの


である 


李明博の選挙参謀呉致雨は欧州に渡り、調香のプロを相手に、希望を伝えて


意見を聞き、吟味を重ねた そしてようやく「これなら」と誕生したのが、男の№5とも呼ぶべき「グレート・コリア」である 


 呉参謀は、これを李候補の選挙演説の会場にたちこめさせておいて、選挙当日は投票所の玄関先、通路、トイレなど、いたるところに振りまいておいた 


 結果は李明博の圧勝 しかしこれがはたして「グレート・コリア」がもたらしたものであるかどうかは不明というしかないが、記者が「なるほど」と思うのは呉参謀のその後のグレートコリアの処分の仕方である 


彼は選挙が終わるとこの「グレートコリア」の調香データは焼却してしまった 並みの参謀ではない たぶんこの参謀にとって香水作戦とは「とどめの一撃」だったのであろう 名香の香気でとどめをさす 心憎いやりくちだ こうしてグレートコリアは李明博の香りになった 


 


業績はともあれ、その風貌が本人の「香気」を伴って甦るのは悪くない ホワイトローズは日本海軍の猛将である槍の山本権兵衛にも用いられたが、グレートコリアは李明博だけの香気 それを仕組んだ呉致雨もまたグレートコリアの香気とともに不滅 記者自身の好みからいうなら、名など残すよりも香気を残したい 「爪跡」など論外 小生、このグレートコリアにはさまざまな思いが交錯する 小生、もう残り時間が見えている これまで、さまざまな出会いがあった その中には、生きてはいるがおそらくもう会えない相手もいる  


だがそれもグレートコリアのように、「一期一会」なればこその不滅の出会いだったとも思える 記憶は汚したくない だから別れは告げない

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行動文化 (58)  存在証明(2) 

 (57)につづく この柄本に「風のセールスマン」(別役作)という独り芝居がある 電柱の下にバス停 ベンチに、くたびれた背広にくたびれたトランクのセールスマンの柄本 この柄本の口から出るのは、聞かされたってどうしょうもない類の生活苦、つまり愚痴 これがぐだぐだと続く

この柄本の日常は「他人に存在を認められる事」によって支えられている つまり彼の価値基準とは他人の承認と評価 これ以外には何もないのだが――観客たちにとっては、たぶんこれは他人事ではない 生きているという事の「意味」と「目的」がテーマの舞台である 


柄本の演ずる営業マンの場合、その存在証明とは他人から与えられる種類のものである その象徴が、舞台の天井から降りてくるブリキの大きな目玉や空っぽの段ボールの箱というわけだ 


この一人芝居、傘をさして現われた営業マン柄本の、「傘の下には人がいる 傘がないとあたしはどこにもいないんだ」という独白で終わる


 


人、という字は人と人とが支え合っている姿だという いや、これは文字学的に根拠のある意見ではない 俗説の一つであって出所はおそらく石田梅岩の心学じゃないかと思うが、人とは社会的な生き物だ 「関係性」は大事だろうが、しかし生きることの基本は「自立」である 一人で立っていられないと、いつも何かに寄りかかっていなければならない 寄りかかる相手がいなくなると傘にでも寄りかかろうとする 柄本はそれを演じている 


 人にとって環境とは自然ではない 人間環境である だが、「出会い」とは「別れ」のはじめ 別れの日は必ずくる 


お互い、いつまでも若くはない トシをとるとシワの数とともに別れの数も増える 人間環境といっても、人にもいろいろいる いなくなってさっぱりする相手もいるが、いなくなられると生きている張り合いのなくなる相手もいる 


それで、過ぎ去った日々の追憶の一つひとつを支えに生きているようになるの


だが、その愚痴も聞き代を支払わなければ誰も聞いてはくれない 淋しいぞ  


前回、「ただ生きていてはわるいか?」と居直ったが、命とは「燃やす」べきものだ バス停のベンチの営業マン君 おぬし、命を燃やしたか? 


生きているという事に他人の承認など無用 そんな仕事なり相手なりにおぬし、これまでの生涯の中で出会ったか? 生き永らえることが手柄じゃないぜ  


♪命みじかし 恋せよ乙女 赤き唇あせぬまに 心の炎消えぬまに 明日という日はないものを 営業マン君よ おぬし恋をしたか? なに? まだ一度も? この愚か者! この世に営業に来たのか? 閻魔さんに叱られるぞ 

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行動文化 (57)  存在証明 

 ただ生きていては悪いのか?

生きていることの意味や価値、理由、また「証し」といった類のものがみつからないと不安な人たちがいる 何の某という人間がたしかに生きていたと言う証しとして「爪痕」でもを残さないと死んでも死にきれぬ、などと思いつめる ごくろうな事だ


つまりレーゾンデートルというやつが気になる 「自分捜し」もこれだが、しかしこれは本来、日本人の思想ではない なにかにつけて理屈っぽい西側の人間がかかる「哲学神経症」という精神病の一種である


元来、日本人は神ながら言挙げしない、屈託のない民族なのである そもそもこの肉体自体が自分でこしらえたものではない、ここにこうして生きているのはオレの知ったこっちゃない、気がついたらこうなってた、生れようと思って生れたわけじゃねえ、オテントサマのなさることだ――みーんなオテントサマにあずけてしまえ――というふうにもってゆくのが日本人なのだ 


戦前もたしかに「存在証明」は、旧制高校の生徒たちの間では流行したが、やがてそんな問題は議論しなくなった 哲学はオトナの問題じゃなかった 


ところが昨今はこれが中年組や初老組の大問題になっている すなわち一億総幼児化時代 生きていることの「意味」、とか人生の「目的」とかいった類のものにピントを合わせた出版物はニーチェをはじめ、この出版不況の時代にもたくさん出ている 需要のないところに供給はない 「爪痕」組に読ませようというわけだが、ネコじゃあるまいし爪痕なんか残して誰に見せようというのか? なんにも残さない方がさっぱりしていい


 人生に「習作」はない


柄本明という役者がいる 彼の「東京乾電池」という一風変わった劇団名を乾電池の会社と思いこんでいた人がいるが、演技を感じさせないこの柄本にほれ込んで自分もこの劇団に入って芝居をしたい、役者になるにはどんな訓練が必要なのかと問い合わせて、気の毒に「キミはうちには縁がない あきらめろ」とにべもなくつっ放された青年が宮崎にいる 


そういう事なのだ 団体名に「乾電池」を使ったのはおそらく自前のエンジンを意識してのことだろうが柄本は飼い犬ではない 柄本は芸(演技)はしない   


ボブ・ディランという歌い手がいる 彼に触発されて自分の世界をつくったのがヨシダタクロ―だという ほう、と思って聴いてみた ボブの場合は発声も声質も自分のものだが、タクロ―のは演技だ 勝負にはならない 


評論にも「習作」などあり得ない 視点も、文体も、評論はいつも真剣勝負 通じなかったらそれまで 「訓練」を否定し「他人」に媚びぬ柄本は面白い 

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